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見て体験して学ぼう!文化のみちで名古屋の文化的歴史を知る


こんにちは、広報課の西野です。
今回は、名古屋市の広報テレビ番組おもてなし隊なごやの撮影で
「文化のみち」に行ってきました。

おもてなし隊なごやについてはこちら
今回の撮影分は10/23(月)放送済で、前田利家公と陣笠隊の十吾さんが出演されました。

「文化のみち」とは
「名古屋城から徳川園にかけて、名古屋の近代化の歩みを伝える貴重な歴史遺産が多く残されている一帯」を指します。
今回は、そんな文化のみちにて行われるイベントに基づいて取材してきました。

歩こう!文化のみち2023
※このイベントは既に終了しています。

今年の「歩こう!文化のみち」クイズラリーイベントには、
新しく3つの施設が加わりました。
しかもその施設のひとつは今年開館したばかりなんです!
どんな施設なのでしょうか、さっそくご紹介していきます。
※3つの施設のうち1つは取材時改装中のため掲載しておりません。


横山美術館


明治・大正時代にさまざまな地域で制作された海外輸出陶磁器の「里帰り品」を中心に展示している美術館です。

街中の雰囲気に合う白く美しい建物


名古屋市東区の辺りには、瀬戸など焼き物の産地から近いという好立地のため、明治時代後期から昭和時代初期に至るまで、多くの陶磁器工場が立ち並んでいました。瀬戸焼や美濃焼の白素地を運んで上絵付を施したものは「名古屋絵付」と呼ばれ、華やかな作風は海外で非常に人気でした。

海外に人気のデザインを描いて


日本が江戸時代後期から明治時代の頃、西洋では美術ブームが起こっていました。
中国風デザイン=シノワズリからはじまり、日本の浮世絵や陶磁器などの美術工芸品が多く西洋へと渡ると、日本風デザイン=ジャポニズムが人気となり、コレクターの中で流行っていました。

西洋の邸宅はとても広いため、大きな陶磁器が人気だったそうです。
西洋の方たちは左右対称に飾ることを好んだため、左右一対の物が多く作られていました。

写真では伝わりにくいかもしれませんが、
こちらの花瓶もかなり大きいです。
花瓶…花を入れたらすっぽり入ってしまって見えなくなりそうです。

一対の花瓶。柄をよく見ると…


花瓶の柄をよく見てみると、左右が逆に描かれています。
これは「ミラー」と呼ばれる描かれ方で、左右対称にするためにあえて反転させた構図で描かれています。
海外の方の「大きく、左右対称」という好みに合わせて作られていることがわかりますね。
左右全く同じ柄を描かれるパターンもあります。

高さ195センチの大きな花瓶!


目を引くのはこちら!大きな大きな花瓶です!

有田焼の見上げる程大きな花瓶


館内はすべて写真撮影可能で、SNSへの投稿もOKです。ぜひ大きな花瓶とのツーショットを撮って、SNSへアップしてみてくださいね。


身長の大きな利家公と並ぶとこんな感じです。いい勝負くらい…?

とっても大きいのに絵柄が細かく描かれていますね。
こういった花瓶を作るには少なくとも1年以上はかかるそうで、
これほどまでに大きな花瓶を作ることができる職人さんの技術力と根気強さに圧倒されてしまいました。

万国博覧会の展示の様子


1873年に開催されたウィーン万国博覧会にも、こうした大きな花瓶が展示されたそうです!展示されている様子が上の資料からわかりますね。
博覧会では名古屋の誇る名古屋城の金鯱も、天守閣から下ろされ有田焼などとともに展示されたそうです。

万国博覧会への出品を通じて欧州に広がった日本美術、ジャポニズムは
植物などの自然のものがデザインとして多く描かれています。
その後欧州にて広まっていく「アールヌーヴォー」(自然な調和や緩やかな曲線が美しいデザイン)へ影響するひとつとなるのです。

超絶技巧!眞葛焼(まくずやき)の高浮彫(たかうきぼり)



こちらは明治時代に横浜で作られた眞葛焼と呼ばれる輸出陶磁器です。
作者の宮川香山(みやかわこうざん)は
「高浮彫」と呼ばれる立体的な装飾技法を用いていました。
この技法は卓越して高度な技術による作品、超絶技巧(ちょうぜつぎこう)と呼ばれています。


花瓶から浮き出るような鳥は、とてもリアルで今にも飛んで行ってしまいそうです!

こんなに繊細で凹凸の細かいものが陶器なんて…と不思議な気持ちになりました。
この作品も一対ですが、鳥の動きや花の種類など左右で柄が違いますね。
一対の物でも左右で柄が異なる陶磁器のデザインは当時大変珍しく、
招いた客人と左右の柄の違いを探すのは話題の一つになったことでしょう。

オールドノリタケ


オールドノリタケとは、森村組と日本陶器合名会社(現:ノリタケカンパニーリミテド)が欧米に輸出していた日本初の洋風陶磁器です。
芸術的な絵付や繊細な細工で、さまざまな技術を用いた装飾が施されています。
その装飾技法についてご紹介していきます。


金盛(きんもり)

金盛魚図ゲームセット


「金盛」とは、盛り上げた土台の部分に金を塗る装飾技法のことです。
よく見ると、金色の部分が盛り上がっています。
装飾が立体的になり豪華に見え、土台部分から金を使用するよりも金を節約出来るとされ、オールドノリタケではよく活用された技法です。

皿の緑色の部分に描かれた金の装飾が盛り上がっている


写真の題名にあったゲームセットとは、狩猟の対象を描くお皿のセットのことです。
このゲームセットは釣りの対象の魚が描かれています。釣れればこの上に獲物の料理を乗せ、釣れなければ見て楽しむこともできます。


ジュール(宝石盛)


「ジュール(宝石盛)」とは、多種類の色絵の具を盛り上げることで、ルビーやトルコ石などの宝石がはめこまれているように見せている技法です。


とても鮮やかで、本当に宝石がはめこまれているようですね。

ポートレート

ポートレートジュール金盛


当時の最高級品、西洋人の顔が描かれた陶磁器です。西洋人の顔の印刷物を転写して上絵付けされています。その転写紙は絵を描く職人を雇う金額よりも高価だったそうです。金と赤のコントラストが映えて輝いています。

なんて豪華なんでしょう!この写真を見てもわかる美しさですが、皆さんにはぜひその目で見ていただきたいです!
あまりの見事さに私はうっとりしてしまい、いつまでも見ていられました。

アールヌーヴォーからアールデコへ


時代は変わり、日本が大正~昭和の時代、欧米はアールデコへと変わっていきます。
アールヌーヴォ―と比べてシンプルで、棚の中や机の上などに飾れるコンパクトなものが人気になっていきます。


ラスター彩


ラスター彩とは、
金属を使い光沢を施すことでメタリックな虹色の輝きを出す器です。
この頃になると日本の職人も欧米のデザインに慣れてきて、欧米人のデザイナーが描いた絵を基に陶磁器の絵付を施しています。陶磁器の皿の後ろには、基となった絵が飾られています。

見比べると、飾り皿の方はどことなく日本人風の顔になっているのも愛らしいですね。

小さいお人形のようなかわいらしい器も



欧米、特にアメリカの方達はコレクションするのが好きだそうで、同じ形の柄違いがある作品も人気になりました。同じ象の器ですがどれも色鮮やかで見ていて楽しいですね!これは集めたくなってしまいます。

きれいな花瓶や装飾が凝っている陶磁器ばかりで、見ごたえ抜群でした!
地下鉄東山線「新栄駅」から徒歩4分と近い距離にありますので、ぜひ足を運んでみてください。
詳しくは、横山美術館公式ホームページ

左から、前田利家公、横山美術館学芸員原さん、館長友松さん、陣笠隊十吾さん


他にもまだまだたくさんの素晴らしい作品があり、その魅力をお伝えしたいのですが、続いてもう一つの施設をご紹介いたします。

ホーユーヘアカラーミュージアム


東区に本社がある髪に関する商品の専門メーカー、ホーユー社のミュージアムです。こちらは今年5月に開館したばかりの美術館です!


ミュージアムの外観です。風になびく髪を思わせるデザインが施されています


こちらの美術館ではヘアカラー、もとい毛を染める文化がいつから始まっているのかについて歴史をたどりながら
日本のヘアカラー史を4つの時代に分けて紹介しています。

入口近くにある展示解説にて展示内容が詳しくわかります


染める文化の始まり



染める、という文化は紀元前から既に存在していました。
古代エジプトでは、魔よけのために髪や爪、唇などを植物の染料であるヘナで染めていました。

古代ギリシアでは、知と力の象徴である金髪にするため、アルカリ石けんで脱色したり、サフラン(香辛料の1種)で着色した小麦粉を振りかけて金髪を装っていたといわれています。

一方、古代中国では儒教の教えで、髪を黒く保つことは「親からもらった身体を大切にしている」と考えられていました。
髪に良い生活を心掛け、澤(たく)と呼ばれるごま油やクルミ油を綿に染みこませたもので艶をだし、染めると言うよりは「より黒く見せる」方法を取っていました。

それでは、日本の歴史を見ていきましょう。

第1章 自然な黒の時代(江戸時代まで)



奈良時代の書物「万葉集」には既に、白髪を老いの表現として詠んだ短歌が見られました。
この頃上流階級で使われていたとされるのは、先程ご紹介した中国のヘアオイル「澤」です。

平安時代にうつると歯や眉を染める「黒の化粧」が定着します。
この頃のヘアケアは
米のとぎ汁や灰汁(あく)で髪を洗ったり、澤の他に美男葛(びなんかずら)というヘアオイルで艶を出していました。また、毛生え薬や白髪染めなども使われていたようです。

髪を黒く染めて戦をした齋藤実盛(さいとうさねもり)


平安時代末期、平家の名高い武将だった齋藤実盛は髪を黒くした日本人として有名です。戦いの際、白髪頭では情けをかけられてしまうと危惧し
髪やひげを黒く染めて出陣しました。その時の様子が描かれています。


江戸時代後期になると、
白髪を隠す製品として有名だったのが「美玄香」(びげんこう)です。
当時の大ヒット商品だったようで、浮世絵の中にも描かれています。

第2章 化学の黒の時代(明治~昭和中期まで)



明治時代初めまでは植物由来の染料を使用していたので、染まるまでに半日ほどかかっていました。ですが文明開化により、輸入染毛剤が手に入るようになっていきます。

化学の黒・酸化染毛剤が登場


1905(明治38)年、日本で最初の酸化染料による染毛剤が発売されました。
パラフェニレンジアミンという染料にアルカリ(アンモニア)と水を足した溶液を髪に塗り、空気に触れさせることで酸化させて染める方法です。
染毛そのものの基本的な仕組みは、このころから変わっていません。

千代ぬれ羽


日本国内で最初に製造されたとされる酸化染毛剤です。髪全体を染めるというよりは、気になるところを染める部分染めのものでした。
この頃の商品は、染まるのに6~8時間程度かかったそうです。

国産染毛剤のレベルアップ


パラフェニレンジアミン(酸化染料)を、過酸化水素水(オキシドール)で酸化する現在の酸化染毛剤の原型が出来ました。
ご自宅で髪を染めたことのある方はご存知かもしれません。
いわゆる1剤と2剤を合わせて髪に塗るものの原型です。染毛時間はなんと30分とさらに短縮されました。

第3章 カラーの時代(昭和中期~平成中期)



1956(昭和31)年、
「ヘレンカーチス ヘヤーダイ」が日本で発売されました。
この商品は目指す色をきれいに出すために、地毛から黒い色素を抜いて色を入れるブリーチが可能な商品です。

ヘレンカーチス ヘヤーダイ


これまで髪を黒に染めるだけのものしかなかった日本にとって、
画期的な製品でした。
この頃から、美容院でのヘアカラー施術のメニュー化も始まりました。

1960年代に入ると、市販の白髪染めは真っ黒に染めるのではなく自然な色に染まるよう求められていきます。
また暮らしの変化により、より即席・時短を求められるようになり、水を混ぜればすぐ染められる粉末1剤式が発売されました。このタイプは今でも国内外の黒髪の方向けとして販売されています。

1960年代後半に入ると、市販のヘアカラー剤の種類が増えていきました。
ブリーチができるシャンプー式と呼ばれるタイプから始まり、クリームタイプ、泡タイプなど派生していきます。

バブル景気の時代から終わりにかけてまたヘアカラ―ブームが起こります。


当時大流行した髪型の一つ、ワンレングスは黒髪の流れを強調するストレートヘアです。そのトレンドを背景に、美容室では髪につやを与えながら補色もできる酸性染毛剤が人気になりました。
また男女雇用機会均等法が施行され、女性の社会進出が加速したのに伴い、女性はより積極的に自己表現をしていくようになります。
ヘアスタイルや髪色の明るさも変わっていきました。

第4章 多様性の時代(平成中期~現在)



1990年代後半から少しずつ、若者の間で茶髪が流行り始めました。


市販のヘアカラー剤も進化を続け、茶色の幅が大きく変わりました。
アッシュなどより複雑な色に染めることが出来るようになりました。
2000年前後には、ダメージケア用のトリートメントの市場も拡大しました。
白髪染めについても、トリートメントをしながら白髪をぼかしたり、ヘアカラーの退色で髪色を補色できる「カラートリートメント」が人気になりました。

ヘアカラーで自由な自己表現を


現代はSNSの普及により、自分の価値観を発信したり、価値観を共有する人々がつながりやすい時代になりました。
髪全体を染めるだけではなく、メッシュ・インナーカラー・バイカラーなど髪色で個性を表現する手段が増えてきました。
老いの象徴と捉えられていた白髪も、あえて黒く染めずその美しさを活かそうという価値観も生まれてきました。
「自由な髪色を楽しむ」価値観の多様化が見られています。


髪を染める文化というのは、奥が深いものだったのですね。
展示の説明も読みやすく、展示品もたくさんあり楽しく見られました。
ここからはヘアカラーの魅力について、アトラクションで知っていきましょう。

髪について学べるアトラクション!


ここは「ヘアカラーの魅力」体感エリア!
さまざまなアトラクションを通じて、髪やヘアカラーについて学べます。

六色色相環をイメージしたオブジェ


染まるしくみを見てみよう

髪が染まる仕組みについて、プロジェクションマッピングで学べるアトラクションです。

髪の毛の断面を示している模型に、ガン型の操作端末の引き金を引いて狙うと…


髪を染めることが出来ました!
上の写真はヘアマニキュアで、髪の上に色を乗せている様子です。
髪の色を抜くブリーチと比べてみましょう。

こちらは全体が茶色になっています。
目で見てすぐ違いに気づけて分かりやすいですね。

真剣に取り組んでいらっしゃる十吾さん


色を楽しむ(カラートニックピアノ)


手前の鍵盤を押すと、赤・青・黄・黄緑・緑・紫の色が画面に出てきます。
この色を混ぜて、黒色を作っていきます。
「黒」という色はたくさんの色が混ざった色で、黒は黒でも混ぜる色によってまた違った表情が見られます。
私は赤が多めの黒が好きでした。あなたの好きな黒を探してみてくださいね。

なりたい自分を探す【フォトウォール】

カメラで顔写真を撮ると、AIがその人に似あう髪型・ヘアカラーを本当にその髪型・ヘアカラーをしているかのように画像を作ってくれます!

顔写真を元にAIが自動で作ってくれる


髪型などは完全にランダムで、自然な茶色の髪で長い髪からピンクなどの鮮やかな色まで実にさまざまです。
利家公と十吾さんに体験していただきました!

茶髪系がお似合いな利家公


鮮やかな色もお似合いになる十吾さん


私も体験してみました!
オレンジと水色が写っていたので、今度染めてみようと思います(笑)
同じ人が数回やっても毎回違う結果になるそうで、何度もやってみたくなるほど楽しかったです。

展示だけではなく、遊ぶこともできる新しい美術館でした!
徳川園からとても近いので、ぜひ行ってみてください。
詳しくは、ホーユーヘアカラーミュージアム公式ホームページ

撮影中案内してくださったホーユー広報課長の梶原さん

取材を終えて…

いかがでしたでしょうか。
明治から大正時代の当時は今よりも機械が発達していないのにとても技術力の高い陶磁器が作られ、輸出されていたんですね。同じ日本人として誇らしく感じました。
髪を染めるという文化は若さを保つ目的から、個性を表す象徴にもなっているのですね。アトラクションで髪が染まるメカニズムを知ることができて、とても勉強になりました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

文化のみちにはまだまだ魅力的な施設が沢山あります。
名古屋市公式noteでご紹介している施設もあるので、
よろしければこちらからご覧ください。

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