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食べて 巡って 熱田満喫!!

名古屋市広報課の小川です。今回訪れたのは、名古屋市熱田区。

広報なごやでレポーターを務めていただいた森さんと共に熱田区を一巡りしてまいりました。

 

熱田と言えば熱田神宮!ただ、栄や名古屋などの繁華街でもなく、大須のような賑やかさもなく、熱田区にはいったいなにがあるのだろう?!そんなことを思っていた無知な自分に大声で言いたいです。

熱田区には魅力がいっぱい!!!!

 

【東海道・グルメ編】

東海道の道標

旅の始まりは、東海道の道標。地下鉄「伝馬町」駅4番出口から出て、北西へ徒歩5分ほどの場所にひっそり佇んでいます。

 

この道標は、建立された1790年当時からそのままの形。場所は、この地点の南側に位置していましたが、平成27年に現在(北東側)の場所へ移設されました。

 

ここはちょうど東海道と美濃路(佐屋路)が交わる地点。

次の「桑名宿」まで、舟で海を渡るか、佐屋路をまわって陸路を行くか、江戸時代の人はこの地点で迷っていたかもしれませんね。

 

道標には、こんな風に彫られています。

東 北 さやつしま(佐屋津島)   同 みのち(美濃路)

南 寛政二年庚犬年

西 東 江戸かいとう(街道)

北 なこやきそ(名古屋木曽)道

北 南 京いせ(伊勢)七里の渡し 是より北あつた(熱田)御本社弐丁 

確かに、すぐ北側には熱田神宮の森が見えます。反対側の南側の方向は七里の渡し…東は江戸に通じ、北に行けば名古屋方向。現在も変わらぬ方向を指しています。

東海道の表示

 

東海道の表示

 

なにやら説明板がありますね…

 レポーターの森さんに勧められて説明板の二次元コードをスマートフォンで読み取ってみると…

なんと、VRで当時の様子が映し出されたではありませんか!!

北側

北側を覗くと奥に森のようなものが…。「熱田さん」こと熱田神宮ですね

  

南側

南側を向くと、奥には鳥居や海が見えます。当時ここにあったとされる「浜鳥居」ですね。宮の渡しでしょうか。 

その場でぐるぐると回ると、360度当時の様子が見渡せます。鳥居の向こう側は海。当時はこんなに近くに海を感じられたんですね…

 現在はと言えば…
南の方向(宮の渡し方向)を見ると、東海道を国道247号線が横切っています。
さすがに海は見渡せません。

ただ、あの歩道橋の奥に見えるのはひょっとして…

そうです。あの有名ひつまぶし店の本店が、この東海道沿いにあるんです!

うなぎを焼き上げる匂いに誘われるままに、お店の中に入ってみると…

じゃじゃーん!!

ひつまぶし、うまき

 ひつまぶしは、もちろんみなさんよくご存じのあの3つの食べ方で・・・

最初はそのまま

     

続いて薬味と共に 
最後はお出汁をかけて

 みなさん、どの食べ方がお好きですか?いったい何年ぶりのひつまぶしでしょう。本当に美味しくいただきました。

続いて道標から見て、東海道の東方向。

道標から少しだけ歩くと、今度は名古屋のポピュラーな老舗和菓子屋さんの本店があります。

 

店員の中山さんが生菓子について説明してくださいました。

季節ごとにいろいろな和菓子を提供しているんですよ。
お邪魔したのは秋真っ盛りの頃。クリやお芋など季節の食材を使った和菓子がたくさん並んでしました。

(左奥)実のり餅、(中央)いもっこ、(右)栗車楽

 試食をさせてもらった和菓子が美味しくって…お土産をたくさん買ってしまいました。

 たくさん美味しいものをいただいてお腹もいっぱいになったので、そろそろ熱田のまちを巡っていきましょう。

 

宮の渡し公園・七里の渡し

まずは、東海道を南側へ。ひつまぶし店を通り過ぎてもう少し行くと、宮の渡しが見えてきます。

江戸時代、この辺りは東海道の宿場町「宮宿」。ここから次の宿場町、桑名まで船で渡っていました。この先は海が広がっていたんですね。

町民や訪れた旅人に時刻を知らせた「時の鐘」

 現在は埋め立てられていますが、ここからの眺めは、港町だったことを少し想像できますね。

 松尾芭蕉がこの場所の歌を詠んでいたり、歌川広重の「東海道五十三次」にもこの場所が描かれていたり、当時は風光明媚な場所だったことでしょう。

 大瀬子公園・魚問屋モニュメント

宮の渡しから堀川沿いに北に向かったところにある公園、大瀬子公園。

この公園の敷地内には、昔ここが海だったことを物語る魚問屋モニュメントが設置されています。

魚問屋モニュメント

この辺りには熱田魚市場があり、このモニュメントは、明治初期に魚問屋として使われていた建物の保存部材を活用して庇の一部をイメージして作られたもの。

 柱には、魚の扱いなどに用いた手鉤(てかぎ)の跡が残っています。

手鉤とは…棒の端にトビのくちばしのような鉄製の鉤をつけたもの。荷物の運搬や魚の扱いなどに用いた。

大瀬子公園内に入ると、魚市場だった歴史にちなんだ壁画やモニュメントもあります。

名古屋城下と知多、伊勢を結ぶ中心地にあった熱田は、物資の運搬に最適な場所であり、近海だけでなく陸路や遠国からも魚介が集められたと言われています。

舟のモニュメント

ここで遊ぶ子どもたちは、ここがかつて港町だったことを知っているでしょうか?!

堀川沿いをさらに5分ほど歩きます。

堀川沿いの柵も熱田のまちをイメージしたデザイン

 国道1号線にぶつかる辺りで見えてくるのが白鳥庭園です。 

 

【庭園編】

季節ごとに違った姿を見せる白鳥庭園

 1989年に名古屋市内3カ所で開催された世界デザイン博覧会の時に「白鳥会場」を再整備し、1991年に白鳥庭園として開園。

 庭園内はまるで小京都。神社仏閣はないですが、庭園内に座って庭を眺めていると、ここが町中だったことを忘れてしまいそうです。

休日に鳥のさえずりを聞きながら、ボーっと池を眺めていると、あっという間に時間が過ぎていきます。

 季節ごとに桜、アジサイ、スイレン、モミジ、松の雪つりなどが楽しめて、本当に癒される空間です。

アジサイ(6月ごろ撮影) 
ハス(6月頃撮影) 
モミジ(11月ごろ撮影)       
雪つり(12月ごろ撮影)

 竹林や、木曽の御嶽山に見立てた頂上部分(白鳥庭園では築山と呼ばれる)から滝なども流れていて、のんびりと散策することができます。

木曽の御嶽山に見立てた築山

実は私自身、白鳥庭園の大ファンで、去年は年間パスを買ったほうが安かったほど通っていました。

 白鳥庭園基本情報はこちら

茶寮「汐入」の絶品和菓子
ここでお勧めなのは、庭の眺めだけではありません。わたしが大好きなのは、茶寮汐入(しおいり)でいただける和菓子!!
今回は、この三品をいただきました。

「和栗しるこ」800円 ★新春限定2023/1/4~9のみ

和栗を使用した贅沢なおしるこに、西尾産の緑が鮮やかなお抹茶をかけていただく。

「抹茶栗ぜんざい」800円

小川オススメ。冬場は毎回これを注文してしまいます。甘さと苦みがベストマッチ!!

「お抹茶のセット」650円

 お抹茶と共に生菓子が1つついてきます。季節に合ったお菓子を提供するため、ほぼ日替わりで新栄の和菓子店から取り寄せているのだとか…。いつ来ても違う味を味わえそうですね。

 庭園に臨みながらいただくことができます。森さんも日々の忙しさを一時忘れているよう…

江戸時代から昭和までは白鳥貯木場として木材を置いておく場所だった 
この白鳥庭園。実は世界デザイン博覧会の会場となる前は、「白鳥貯木場」として使われていました。

大正時代の白鳥貯木場の様子(中部森林管理局名古屋事務所所蔵)
大正時代の白鳥貯木場の様子(中部森林管理局名古屋事務所所蔵)

 大変歴史のある場所で、1610年の名古屋城築城に際して、木曽で伐採した木材を筏(いかだ)に組んで木曽川を下り、この場所(堀川河口)に水中貯木したのがはじまりです。ここで貯蔵された木材で当時お城が造られていったのですね。

 この写真は大正時代の写真ですが、大昔から変わらない景色だったのかもしれません…

 当時と変わらぬ場所もありました。

さて、そろそろ次の場所へ。白鳥庭園を出て堀川を渡ります。

堀川にかかる御陵橋からの眺め

左手に国際会議場、正面奥には名古屋駅のビル群が見えます。 

今度は信長ゆかりの地を訪ねていきたいと思います。

堀川を渡ってすぐの場所にあるのが白鳥古墳。そのすぐ隣にあるのがこのあとご紹介する法持寺です。

 

【信長編】

白鳥古墳の宝物を守る「白鳥山 法持寺(ほうじじ)」

弘法大師空海が熱田神宮にお籠りした際、白鳥御陵(白鳥古墳)に小さなお堂を建て延命地蔵を彫り本尊としたのが始まり。

草創期には白鳥御陵(白鳥古墳)の宝物を守る寺という意味で宝持寺と称されていたこともある由緒あるお寺なのです。

門の奥、正面突き当りに見える森の部分が白鳥古墳


 戦国時代には、織田信長が桶狭間の戦いに向かう途中、熱田神宮と共に白鳥山(法持寺)へも立ち寄り、戦勝祈願をしたと言い伝えられています。

 現在でも、野球の強豪校が全国大会の前にこのお寺を訪れ、戦勝祈願をしていくのだとか…

 この日は、副住職の川口さんが出迎えてくれました。

川口副住職:明日はちょうど、このお寺が名古屋観光コンベンションビューローのハイキングのルートになっていて、参加者のみなさんに坐禅体験をしていただくんですよ。森さんもやっていかれませんか?

 …ということで、森さんが坐禅体験をさせていただきました。

坐禅を組んだ後の森さんの表情は、どこか清らかになっていました。

 熱田神宮・信長塀
さて、今回の旅の締めくくりは熱田神宮。

名古屋や近郊にお住まいの方は、初もうでや七五三など、さまざまな場面で参拝される方も多いのではないでしょうか?

この熱田神宮にも織田信長に関係するものがあるのです。

信長は、桶狭間の戦いの前、熱田神宮にも戦勝祈願に訪れ、戦いに大勝します。そのお礼として奉納されたのが、こちらの信長塀です。

土と石灰を油で塗り固め瓦を厚く積み重ねています。三十三間堂(京都府)の太閤塀、西宮神社(兵庫県)の大棟塀とならんで日本三大土塀といわれているのだそうです。

 森さん、信長塀の前で記念撮影。ハイ!チーズ!(←ちょっと古い?)

 この森さんが指している信長塀が大きく開けた部分に、実は昔「海上門」という門がありました。

海上門

室町時代末期の優れた建築として旧国宝にも指定されていました。戦災により焼失してしまいましたが、今でも柱の礎石を確認することができます。

 ところが!!スマートフォンの画面をよく覗いてみてください!
やや!!この赤い門はなんでしょう?!

AR技術で海上門が復活! 

ただいま、スマートフォンなどで「なごや歴史探検」アプリをダウンロードして、信長塀の場所でカメラを起動すると、当時の海上門をAR技術で見ることができます。

 アプリのダウンロードはこちら

 

デジタルスタンプラリー
このほか、今回ご紹介した道標、宮の渡し、熱田神宮など、熱田区内の7カ所の史跡を周るスタンプラリーを開催中。スタンプを集めると素敵なプレゼントがもらえます。

※プレゼントの応募受付はすでに終了しています。
※熱田歴史探訪アプリは引き続きお楽しみいただけます。

 詳しくはこちら

帰路 地下鉄「熱田神宮伝馬町」駅へ
さて、そろそろ旅も終わり。地下鉄で帰ります。

みなさん、2023年1月4日から、「伝馬町」の駅名が「熱田神宮伝馬町」に変わるのをご存じですか?

それを記念して、1番出入口の階段などに、熱田区の今・昔をイメージしたデザインが完成。地元の方々と共におもてなしの心を込めて作り上げられています。

江戸時代の熱田の街並み(熱田魚市場)  
今の熱田の街並み(時の鐘、堀川まつり)

みなさん、地下鉄を利用する際は、ぜひ見てみてくださいね。

 

今回周ったルート

広報なごや2023年1月号より

 

 

熱田を巡って
私自身、地元だからということもあり、コロナが始まる前までは名古屋市内を巡ることは稀でした。学生時代から何年も経ち、遠くから友人が訪ねてくることも少なくなり、ひつまぶしを食べに出かけることも十数年ぶり…。

 ただ、コロナが始まって初めて地元を巡るようになり、名古屋市内には観光地として訪れて楽しい場所がたくさんあると改めて感じました。

食べて巡って熱田満喫!!全国の皆さんはもちろん、名古屋や近郊の皆さんもぜひ熱田を訪れて、観光気分を味わっていただきたいと思います。

 

 

 

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