仕事も趣味も走り出したら止まらない。 市役所から自宅まで約30キロを走って帰宅する杉野副市長へインタビュー
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仕事も趣味も走り出したら止まらない。 市役所から自宅まで約30キロを走って帰宅する杉野副市長へインタビュー

名古屋市広報課の丸澤です。
令和3年6月1日に3人いる副市長のうち、2人が変わりました。中田英雄、杉野みどりという2人の副市長が就任しました。

市長はご存知の方もいらっしゃると思いますが、副市長を知っているという人は実際に会ったことがあるなど、限定的になるかと思います。

名古屋市は人口230万人を超える都市で、職員数は多いです。幹部職員でも名前は聞いたことがあっても会ったことがない、どういった人か知らないということはあります。

杉野みどり副市長、私は会って話したことは今までなかったのですが、名前は知っていました。知人から「市役所から自宅までの約30キロの距離を走って帰宅するパワフルな人がいる」、そんな情報を得ていて、それが杉野みどり副市長の名前を初めて知ったきっかけでした。

元部下の職員など色んな人から話を聞くうちに、パワフルなのは走りだけでなく、仕事もパワフルということを知り、もっと深堀りしてみたいと思いインタビューしました。

メディアでは「女性として二人目の副市長」などとして名前が上がりますが、インタビューをしたら「いやいや、もっと知っていただきたい!」ということが多くありました。なので、今回も長文となりますが、最後までお読みいただけると幸いです。

個人的には、全国の自治体の副市(町村)長を走らせたら1番を取れるのではないかと思います。後ほどフルマラソンのタイムを掲載しますので、「いや、うちの副市(町村)長の方が・・」という自治体あれば、noteの記事をお待ちしております!


【フルマラソンのタイムや始めたきっかけ】


(-は丸澤が発言)
―いきなりですが、フルマラソンに何回も出場されていると伺いました。最高タイムはどれくらいですか?
杉野:最高タイムですか、、、だいぶ前ですけど、3時間32分が最高タイムで、1年ごとに遅くなっていて、今は3時間39分くらいかな。なんとか3時間30分台で走れているという感じです。

―速い、、、私はそもそもフルマラソン走り切る自信がないです。副市長はいつ頃から始められて、フルマラソンに挑戦までの期間はどれくらいでしたか?
杉野:走り始めたのは課長時代なので、今から10年前くらいだったと思います。仕事でストレスを抱えることもあり、最初はウォーキングからで、その後に走り始めたら、走っているその時間は一切仕事の事を忘れたり、走り終えたらスカッとしたりで、リセットされる感じがが良くて、走ることを続けています。
フルマラソンへの挑戦は、走り始めて半年後でした。

―えっ、半年後ですか!?
杉野:そうなの(笑)たまたま私が走り始めたことを知った人が職場にいて、「仲間うちで走っているので、気軽な気持ちで走りに来ない?」と言われて走りに行ったら、「あっこれはガチで走る人たちだ、、、」、「これは私が今入る所じゃない、、、」と思いました(笑)

―市役所の課外活動でよくある、「うち大したことないから」と言ってガチ勢に引き込むパターンのやつですね(笑)
杉野:そう、それで入ったらすぐに10キロに出たんですけど、「10キロ走れたら、ハーフも走れるわよ。」と言われてハーフに出て、「ハーフが走れたらフルマラソンもきっと走れるわよ。」と言われ、外堀を埋められた感じでフルマラソンに申し込みをしたという感じでした。
ただ一生懸命練習したこともあって、初フルマラソンで4時間を切るというサブ4を達成して、「私、走れるじゃん!」と勘違いして、そこからますます走ることにのめり込みました。

―どんなメンバーで練習してるんですか?
杉野:前は市役所の職員達とも練習していましたが、コロナ禍で今は走りに行けなくて。今は地元で若い人、10代だったり、60代の人もいたりと、色んな人と一緒に練習していて、飛騨高山で行われる100キロなど走るウルトラマラソンに出ていたりもしますよ。

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【名古屋市役所に入ったきっかけ】

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―このままだとマラソンだけの人になってしまいますので、別の質問に。そもそも名古屋市役所に入られたきっかけを教えていただけますか?
杉野:大学生の時、私は法学部だったんですが、憲法とか地方自治は大事だなと思って、それが実現できる名古屋市役所に入ろうと思ったのが、最初のきっかけだったと思います。
私が就職活動をしている時代は、男女雇用機会均等法が施行される1年前だったと思いますが、内定をいただいた民間企業で本当に自分が思う仕事が出来るのか?と思った時に、何年後かの働いている自分の姿を思い浮かべることができなかったというのもあったと思います。

―国や県、他の自治体もあったと思いますが?
杉野:当時、公務員を目指す人たち用の雑誌があって、そこに大卒女性で名古屋市役所に入られている方が、「生き生きと出来て働き甲斐がある」という紹介をされていて、それが凄く印象に残っています。
あと、大学生の時に名鉄電車で通っていて、昔は栄生駅付近から市役所のシンボル的な時計塔、チラッと見えるときがあって、それが凄く神秘的で。その時に「あそこで働きたいな」と漠然と思ってというのもありますね。

―市役所でたくさんの仕事を経験されていますが?
杉野:最初の配属は区役所でした。当時は大卒女性が少なく、その区役所では2人目でした。先輩職員達の視線が厳しかったのは、はっきりと覚えています。まだ二人目ということで、どう育てていくかなど扱いが難しかったのかなと思います。今は女性の管理職も増えてきていますし、男女関係なくハラスメント研修などいくつもの研修を受けていますので、性別はあまり関係ないと思います。改善していく所もまだまだあると思いますが、年々女性が活躍しやすくなってきていると思います。

―最初の配属が区役所で、次はどちらに?
杉野:次は人事委員会事務局でした。それまでの仕事とは全く異なるだけでなく、雰囲気も異なっていて。今もそうなのか分かりませんが、部屋の中で咳をすると部屋中に聞こえるくらい静かで。でもその雰囲気を若干壊していたのは私なんですが(笑)

【印象に残っている言葉の数々】


―名古屋市役所には「係長昇任選考」という制度があります。杉野副市長が試験を受けられた時は、ロールモデルとなる女性管理職もほとんどいない中での受験だったと思いますが、当時を振り返っていかがでしたでしょうか?
杉野:当時は仕事に育児に追われる中で、プラスで試験勉強だったので本当に大変でした。参考になる本は肌身離さず持っていて、お昼休憩中、帰宅後だけでなく、通勤の途中も地方自治法、地方公務員法、行政実例など、様々なことを隙間の時間を見つけて暗記していました。
何回もくじけそうになりましたが、弁護士の方で人事委員をされていた方が、いつも励ましてくれていて。その方は夜間大学を卒業し、独学だったかと思いますが一生懸命に努力されて弁護士になられていたんですが、「人間やれば出来るんだ、念ずれば花開くよ。」「念ずるということは一心不乱にやることだ。そしたら必ず道は開かれるから。君は出来る。」とおっしゃってくれて、私の胸に響きました。その方は常にメモを持って、分からないことや気が付いたことを始終メモしていました。そんな凄い方でもそうであれば、私も頑張ってみようと思いました。

―「育児」というキーワードが出てきましたが、私も部署内の人事などを経験したことがあり、産休・育休に入る(女性・男性に限らず)職員が最終出勤のあいさつで「長期のお休みをいただき申し訳ありませんが」という言葉を聞くと非常に胸が痛くなります。今は産休・育休を経験したことのある職員が管理職になったり、イクボス宣言をしたりなどで大分変化はあると思いますが、当時はいかがでしたか?
杉野:時代と言っていてはダメですが、やはり嫌味を言う職員もいましたよ。それでも、先輩職員がかけてくれた言葉は今でも凄く印象に残っていて。
「人生なんてね、長いんだよ。出産とか育児は、その人生の中で考えた時に一時でしょ。人にはそれぞれ色んな理由があって、仕事を離れる時が来るかもしれない。介護かもしれないし、自身の病気かもしれない。でもそんな短い間は他の人がカバー出来るんだよ。それが組織なんだから。だから、そんな一時のことで自分が職場に迷惑をかけるんじゃないかとか、そういったことは気にすることはないよ。」
この言葉は凄く心強くて。やっぱり組織がちゃんと人それぞれ色んな事情を抱えて、歩んでいく人生をみんなで応援して乗り越えていく、それが組織の良さと思っています。悩み苦しんでいる職員に私も先輩職員のように声をかけたいし、現状を良くしていこうと頑張っている人を、本当に応援したい。

―組織だから出会えた人との関係の良さを感じます。先ほどフルマラソンの話を伺いましたが、そこでも何か印象的な言葉などはありますか?
杉野:本格的に走ることを導いてくれた職員からも、たくさんの言葉をいただいていて。その方は数年前に既に病気で亡くなられていてね。
闘病中の時、「負けない!生きることに負けない!」て言って、ずっと治療をされていました。治ったらやりたいことがあるから勉強すると言って、勉強し続けていて、全力で生きた人でした。
亡くなる1週間前くらいだったと思いますが、「会いに来て。私の命が亡くなるから、その前に会いに来て。」と言われて、会いに行きました。その時に「私はもう仕事は出来ない。悔しいけど、生きていくことはできない。けど、あなたは出来るんだから、全力で仕事してね。」って言われて、「分かった。全力で生きる。絶対後悔しないように生きるから。」って約束をしました。
彼女は全力で生きた、悔いないように。だから私もめげそうになる時も、いかんいかん、彼女が励ましてくれ続けているんだから、頑張ろうと思っています。

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【若手職員や、名古屋市職員を目指している人たちへ】

―素敵な言葉や出会い、たくさんの部署を経験されたからだと思いますが、若手職員やこれから名古屋市職員を目指す人たちの中には「この仕事がやりたかった」という希望する職とのミスマッチがあったりもしますが、その辺りはいかが思われますか?
杉野:私も一昨年だったと思いますが、大学三年生に話をさせてもらう機会がありました。名古屋市は福祉、防災、都市計画など様々な仕事があって、異動すると「一から出直し」くらいに仕事が違ってきます。こんなに色んな職種を経験できるのは、名古屋市役所だから。民間企業ではできないのではないかなと思います。
「自分はここじゃない。」「この職場では私は活かされない。」「私に合った仕事があるはず」、そう思う人は多いと思います。実際に私もそう思いました。
ただ面白いと思えなくても、凄く努力すると、大きな自分へのお土産になっていることがあって。
区役所に係長級で異動した際に、今までに見聞きしたことのないような厳しい人生を歩まれている方が窓口に相談にいらっしゃって、市役所として何が出来るか、制度はどんなものがあるのか、一生懸命に調べました。
現場「だけ」では出来ないこともあるけど、調べていると様々な施策があることが分かってきて、「いや、この人たちは福祉の施策のどこの隙間に陥ったんだろう?」とリアルな体験を得たことで、その後の異動先での施策に結び付いたことがあります。
調べて考えたことって、施策で次にどうしようかという時に、判断材料であったり、どういう立ち位置を取るのかなど、参考になることが多くて、経験したことって絶対無駄じゃないと心の底から思っています。

―私は、今は係長ですが、担当時代に「嫌だなー」と思っていたことも、今になって凄く役に立っていたり、その当時苦楽を共にしたというと昭和時代な感じがしますが、一緒に仕事をした人たちと今改めて仕事をすると物事が進みやすいということを感じています。
杉野:そう、一日だけ切り取ってみたり、無駄じゃないかと思ってしまうことはあるけど、先ほどの話じゃないけど、役所人生長いので、この1~2年ですべてを決めるのではなくて、得た経験は全て自分への栄養になると思って貰えたなら。
一緒に仕事をしていた人たちが、仕事上で何年後か先に助けてくれるということも本当に多くて。

役所人生捨てたもんじゃない、必ずどこかで返ってきますよ。

―「これやりたい!」という職員、いざ仕事となると調整事項など多くて中々具現化することが出来ないなどで心が折れてしまうこともあると思いますが、そういった若手職員達に向けてメッセージをいただけますか?
杉野:若手職員の中でもポロっとやりたいことを言ってくれる人はいて、「やろうよ、それ。」と言うと、「でも、ここには、、、」と否定的な言葉が出てきたりします。
そういった職員には「四の五の言う前にまずやってみよう!」と言っています。市民のためになると思うなら、まずはやってみて、細かいことは後回しで。一から積み上げることも必要だけど、それで進まなくて市民のためにならないなら、まずは体を動かして、そこで分かったことに対応していく。私自身がかなりの面倒くさがりなので、まずは「動こうよ」って言っています(笑)。
「何かやろうと思った時に皆に公平にできるように調整していたら、いつまで経っても進まない。まずここから始めて、いずれその先に到達するからという順番で物事を考えて欲しい。」とNPOの人に言われたことが、私の考えの基礎となっているかと思います。

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【市役所外との交流】


―フルマラソンへの参加などいろいろとご活動されている中で、企業やNPOの民間の人たちの交流もあると思います。交流の中で感じたことなどありますか?
杉野:発想が違いますね。行政と民間で違いはあるにしても、私が出会った民間の人たちは「何がしたい」をきちんと語れるんですよね。市役所の仕事だと「私の担任事務はこれで、、、」「公平中立性が、、、」と言って、考えが狭くなりがちなことが多いかなって。
民間の人たちは「このプロジェクトのここを担当していてさー」「しょうもないことも多いけど、ここがいいんだよね。」と凄く誇らしげに語れる方が多くて。

―民間に限らず、本来は市役所の人も出来るはずのことですよね。
杉野:そう、市役所の仕事はやっていることがとてもいいことが多いので、アピールすることが必要だと思っています。福祉部門が長かったので思うことは、目の前の子どもを助けたり、命を助けたり、困難家庭を助ける、それをデータで現状を示し、名古屋市は何をやっているかをプレゼンする必要があって。「自分たちがやっているからいい」、「人助けしているからいい」ではなくて、ちゃんと外に向かって発信しなきゃいけないとずっと言っています。
経済団体のトップクラスの方々に福祉の関係で説明する機会があって、その時にデータに基づいて説明したら、「知らなかった」「もっとそういうことを教えて欲しい」「良かった」って皆さんおっしゃってくださって。

―思っているだけではだめで、プレゼン、伝えることが大切ですね。市公式noteもそういったところを考えて始めました。
杉野:生き生きと語れると、そこに熱がこもって、そうなると地域の人たちにも熱が伝わって、一緒になって施策を進めてくれたりと。「あんたがそこまで言うなら協力する、ただ絶対に逃げるなよ(笑)」と言われたので、「逃げませんよ、がっつり行きますよ(笑)」って言って、一緒になって施策を進めてくれた人たちがいて、今でも色んなことに声をかけていただいたりしますね。

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【最後に】


「誰と出会うか」「誰とするか」
仕事をしていくうえで、杉野副市長から大切な話をたくさん聞けました。
「誰」は偶然ではなくて、自身が走り出したから、その「誰」かにあたるんだろうなというのも感じました。走っている最中は苦しいけど、走り終わった後の爽快感。人生は長いという話、杉野副市長がフルマラソンを始めたのは偶然じゃない気がします。
施策には数多くの市役所職員が関わっていて、想いを市民に繋ぐ、タスキ・バトンとなるべく広報を如何にしていくか。今回のインタビューを通して、色んなことを考えました。
名前は知っていたけど、どんな人か知らない。職員の想いを知ると外に向けて伝えたくなりました。
職員紹介の広報、シリーズ化しそうな予感です。

お礼に名古屋の素敵な写真をプレゼントします
名古屋市広報課が管理する名古屋市公式noteアカウントです。