誰もが住みやすい街なごやへ ~発達障害のこと、知っていますか?~
広報なごや2月号では発達障害について紹介しています。紙面のスペース上、お話し頂いた内容のすべてを掲載することはできなかったので、本記事に全文を掲載いたします。
(原文)
ー お名前と、発達障害の当事者の方々に対して、これまでどのような支援活動をされてきたのかを教えてください。
浅井: 名古屋市発達障害者支援センター所長の浅井朋子と申します。私は小児科医としてあいち小児保健医療総合センター等の医療機関で発達障害児者の診療に携わってきました。平成18年からは発達障害者支援センターの業務とともに中央療育センターで発達障害児の診療を行っております。
発達障害者支援センターは発達障害を対象として①相談業務、②支援者の人材育成、③関連機関との連携、ネットワーク構築、④啓発事業を行っていますが、私は相談業務を行うスタッフへの助言や研修等の事業の企画に携わっています。
ー 最近、よく「発達障害」という言葉を聞きますが、具体的にはどのようなものなのでしょうか。
浅井: 発達障害は主なものとして自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、限局性学習症(学習障害)があります。基本症状として自閉スペクトラム症であれば、「社会的コミュニケーション、対人的相互反応の障害」と「限定的で反復的な興味・活動のあり方」、注意欠如・多動症であれば「多動」、「衝動性」、「不注意」、限局性学習症であれば「知的発達は正常であるものの、読字、書字、計算といった特定領域の能力の障害がある」といったことが挙げられます。
しかし、こういった基本症状があればすぐに診断をつけるということではなく、基本症状(発達障害としての特性)を持っているために社会生活を送る上で上手く適応できない状況になり、保育園、幼稚園、学校、職場、家族関係などにおいてその人本来の力が発揮できず、周囲のサポートや理解が必要な場合に診断をつけるということになります。
ー ところで、発達障害と診断された時の、ご本人やご家族の心境はどのようなものなのでしょうか。
お子さんが発達障害の当事者の場合
浅井: この場合では、保護者の方の心情ということになりますが、幼児期であれば、診断がついてからまだ十分な時間が経過しておらず、子どもの障害や状態を客観的にみることが難しい時期です。困惑、混乱、怒り、悲しみ、無力感、焦りといった感情が渾然一体となり、いくつも医療機関を受診したり、○○訓練といったものに奔走したりといったことがよくみられます。お母さま方から、初診の時は頭の中が真っ白になって、どのような説明をされたのか覚えていないというお話をよく伺います。事前にご自分で調べてある程度、診断がつくことを予想して受診された場合でも、子どもの状態について発達障害なのではないかと不安に思う気持ちと認めたくない気持ちの間で揺れ動いていることが多いのです。少し落ち着いてくると、診断がついたことで「ほっとした。」、「どのように育てていけばよいのか見通しがついて気持ちに余裕が出来た。」といったお話が聞かれるようになります。
発達障害ではパニックや激しいこだわり、感覚の過敏さなど対応が難しい特性を持つことが多く、しつけや育て方に工夫が必要になります。しかし重度の障害がある方たちに比べて知的障害を伴わない発達障害児の場合、診断がつく時期が遅くなり、障害という視点がないために、子ども自身の問題には焦点があてられず、お母さまの子育ての問題とされがちで、自信を失うことも多いのです。
また社会性、コミュニケーションの障害があることから幼児期にまだ他者と興味・関心を共有することが少なく、遊んであげようとしても、子どもが関わりを求めず、その結果一人遊びが増えてしまう。そのことを「お母さんが上手に遊んであげないから言葉が遅れるのでは?」と周囲の人たちから批判されるというのはよくあるパターンです。それがまたお母さまの自己評価の低下に繋がることがあります。診断がついたことは、ショックだったけれど、間違った原因探しから解放されて「ほっとした。」というのはこういった背景があるのだと思います。
発達障害の当事者が成人の方の場合
この場合では、「今まで何が原因で上手くいかないのかわからなかったが、診断によって見通しがついてほっとした。」という方もいれば、「自分が障害者なんて受け入れられない。」と強く反発される方もおられます。成人の方たちの場合、それまでの生活史の中での虐待やいじめなどの逆境的体験の有無、あるいは周囲の方たちからの理解やサポートの有無によって受け止め方は様々です。周囲の方たちと信頼関係が築けている場合、診断を前向きに受け取ることが出来て、診断を受けたことがその人らしい生き方を見出す一助になっている印象を持っています。
ー 発達障害の当事者の方は、日常生活の中でどんなことに困っておられるのでしょうか。
自閉スペクトラム症のお子さんの場合
浅井: 社会性・コミュニケーションの障害があるため、自分の行動が他者からどのように受け取られるのかという視点が持ちにくく、悪気がなくやっていることが我儘に見えたり、思いやりがないと誤解されたりしがちです。幼児期であれば保育園などで集団行動がとれずマイペースだと言われたり、学童期には事実ではあるけれど、それを言われたら人が嫌がるようなこと、例えば「Aちゃんは走るのが遅いね。」といったことを言ってしまうので、クラスメートから敬遠されたりいじめの被害者になったりすることがよくあります。
自閉スペクトラム症の成人期の場合
より洗練されたコミュニケーション能力が要求されるようになります。例えば職場での人間関係は一対一の関係とは異なって、その集団内の力関係や自分の立場などを考慮しなければいけない等、処理する情報量が多く、いわゆる「空気を読む」ことができないと上手にこなすことが難しいでしょう。皆が笑っていても何が面白いのかわからず、とりあえず自分も周囲にあわせて笑うけれど、とても疲れるということもよく聞きます。また他者との心理的な距離をどのようにとればいいのかわからず、誰に対しても非常に堅苦しい対応をしたり、逆にそれ程親しくない相手に馴れ馴れしい態度をとるので周囲から浮いてしまうということもあります。
また物事の優先順位をつけて臨機応変に行動することが苦手な方が多く、職場や家庭で様々な問題に直面します。職場では、業務の優先順位がつけられないので期日に間に合わなかったり、適切なタイミングで上司に相談したり、報告することが出来ずにトラブルになったりします。
女性では、役割として家事の遂行を求められる場合が多く、家事が上手くできないという訴えもよくあります。家事というのは、複数の仕事を同時並行で進行しなくてはいけないことが多く、その場その場で物事の優先順位を決定し、実行していくということの繰り返しです。例えば料理中に電話がかかったり、来客があったり、子どもが泣き出したりと想定外のことが次々に起こることがむしろ当たり前の状況で、臨機応変に行動することが苦手な発達障害者にとっては大きな負担になります。
注意欠如・多動症の幼少期
多動や衝動性の高さから事故に遭いやすい、怪我が多い、集団行動がとれず、幼児期から叱られたり、非難されたりといった体験が非常に多いことがあります。幼児期は多動、衝動性の高さが目立ちますが、学童期以降になると、それらについては徐々に落ち着いてくることが多いです。目的を持った一連の活動を有効に遂行するために計画を立て、実際の行動を効率的に行う能力のことを実行機能といいますが、注意欠如・多動症ではこの実行機能の障害があるといわれています。例えば学童期であれば、学習や課題に取り組むこと、宿題や提出物を期限までに仕上げて忘れずに提出すること、片付けたり準備をすること、他者と交渉をするなどの際に実行機能が重要な働きをします。
幼児期には、これらについては出来なくて当然で、大人がやってくれるのですが、学童期以降はこの実行機能が重要な意味を持ってきます。したがってこの時期には、「学習の問題」、「学校の準備ができない」、「時間の管理の問題」、「片付けなどができない、忘れ物や物をなくすといった物の管理の問題」といったことが顕在化してきます。これらの問題に適切な対応がされないと自己評価の低下、反抗や非行の問題に進展する可能性も出てきます。
注意欠如・多動症の成人期
より高度な実行機能が要求されるため、仕事や家事の遂行に様々な問題が生じてきます。適切な対応がなされない場合、うつ、人格障害などの精神疾患への進展、薬物依存、アルコール依存といった二次障害を引き起こす可能性もあります。
ー では、発達障害の当事者の方々にとってうれしかった周囲の人の対応はどういったものでしょうか。逆に、つらかったり悲しかったりする対応とはどういったものなのでしょうか。
お子さんの場合
浅井: 保護者の方々から「先入観なしに自然に接してくれるのが嬉しかった。」「パニックになり地面にひっくり返って大泣きしている子どもに対応しているときに下の子どもも泣き出してどうしたらいいかわからなくなっていました。そうしたら『この子のことは私がみているよ』と下の子どもをみてくれた人がいて、本当に有難かった。」などのお話を伺ったことがあります。「支援する」と大袈裟に構えなくてもいわゆるナチュラルサポートがあることが大きな支えになります。
成人の方々の場合
職場等では業務遂行にあたってより積極的な「合理的配慮」や支援制度の利用などが必要な場合もありますが、そこまでいかなくても理解しようと寄り添う対応があることだけでも生活のしやすさに繋がるように思います。また冗談や皮肉、婉曲表現などの理解が苦手な方も多く、周囲の人たちが具体的で端的なコミュニケーションを心がけるだけでも役に立つようです。
逆につらかったり悲しかったりする対応というのは、差異だけに焦点を当てるような対応です。「定型発達」という多数派の物差しで判断されてしまうと、少数派の発達障害の方たちは苦手なこと、出来ないことばかり突き付けられるように感じてしまいます。
お子さんの場合、パニックの際に大声で叱ったり強引な対応をするとさらにエスカレートするので、しばらく静かに見守ることが必要になります。お母さま方から、そんな時に「どうしてもっと叱らないんだ。」とか「しつけが出来ていない。」と非難されたり、直接言われなくても冷たい視線を感じる時がとてもつらいというお話をよく伺います。
ー 最後に、名古屋を「誰もが生きやすい街」にしていくために、私たちは発達障害についてどのように理解していけばよいと思われますか。
浅井: 発達障害の特性というのは例えば、自閉スペクトラム症であれば社会性の障害やコミュニケーションの障害、注意欠如・多動症であれば多動、衝動性や集中力の問題など、いずれもその特性を持っていること自体が異常なことではありません。誰もが大なり小なり持っているものです。さらにこれらの特性は極端な言い方をすれば、もし人との接触のない環境で生活していれば、大きな問題にならないものと言えるかもしれません。さらにある環境下ではそれが逆に有利な役に立つ特性になるかもしれません。
発達障害の特性はよくも悪くも他者との相互作用の中で初めて大きな意味を持ってくるものです。そうであれば、社会のあり方がほんの少し変化することで発達障害の方たちが持つ特性を「障害」というカテゴリーで考える必要がなくなるかもしれません。今、私は「社会のあり方」という抽象的な言い方をしましたが、「社会のあり方」というのは、私たち一人一人が人のあり方の多様性を認め、受け入れる寛容さや穏やかな眼差しを持つという姿勢のことだと考えています。
主治医として関わっている子どもたちや、支援センターでの相談事例をみていると、このような社会のあり方の変化といったものがあれば、発達障害としての特性を持っていたとしても、力を発揮でき、自分らしい人生を送ることが可能になる人たちがたくさんおられると思っています。さらにこのような多様性を認める寛容な社会というのは、発達障害のある方たちだけでなく、誰にとっても生きやすい社会ではないでしょうか。市民の皆様方お一人お一人が、こういった視点を持った理解者になって頂けると有難いと考えています。
多様性を認める社会は、発達障害の方だけでなく、誰にとっても生きやすい。
名古屋市では、「発達障害者支援法」に基づき、発達障害の当事者の方への総合的な支援を行っています。
■発達障害に関する相談窓口
発達障害者支援センターりんくす名古屋
日時:祝休日をのぞく月曜から金曜日、午前8:45から午後5:15まで
場所:名古屋市昭和区折戸町4-16
問合:TEL:757-6140 FAX:757-6141
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■発達障害啓発週間 ※ライトアップは終了しています。
2022年4月2日(土)から同年4月8日(金)まで、中部電力MIRAI TOWERを自閉症啓発シンボルカラーのブルーにライトアップします。