東区だけど市の真ん中?北区だけど一番北じゃない? 名古屋市の区の成り立ち、市政資料館で分かります。
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東区だけど市の真ん中?北区だけど一番北じゃない? 名古屋市の区の成り立ち、市政資料館で分かります。

名古屋市広報課の丸澤です。
名古屋市に関係ありそうなnoteの記事をチェックしていると、「東区なのに一番東にない、北区も西区も南区も。」というような内容の投稿を見ました。

名古屋市は令和3年10月時点で16区(千種区、東区、北区、西区、中村区、中区、昭和区、瑞穂区、熱田区、中川区、港区、南区、守山区、緑区、名東区、天白区)ですが、1889(明治22)年10月1日の市制施行時は、市の面積、人口など現在とは大きく異なります。

名古屋市の歴史を知れば、区の配置・成り立ちも分かるだろうと思い、名古屋市東区にある「市政資料館」に来ました。

こちらの2階の常設展示室に「名古屋市の歩み」があり、市制施行から平成までの名古屋市の歴史が分かるだけでなく、市域がどのように拡張していったか分かる「名古屋拡張史」があります。

001第5常設展示室

2階常設展示室の入り口

002名古屋拡張史

写真左下に名古屋拡張史のプレート

市政資料館、市の公文書館としての機能だけでなく、建物としても魅力的で、入館は無料ですので皆さまにも是非訪れて欲しい施設の一つです。
サムネイルが市政資料館の外観ではありますが、例えば中にある中央階段、TVドラマの撮影や市民の方に結婚式などで使われ、ステンドグラスと共に撮影される方も多いです。

003館内中央階段

話が逸れそうなので、2階にある第5常設展示室へ。
名古屋市の歴史と共に、区の成り立ちを紐解いていきます。


【明治】

1889(明治22)年10月1日に市制施行、名古屋区を名古屋市と改称し、その当時の人口は約15万7千人でした。
1907(明治40)年に熱田町を市域に編入し、1908(明治41)年4月1日に「東・西・中・南」の4区制が実施されました。

004名古屋市の歩み

「名古屋市の歩み」を撮影

1889(明治22)年12月に市内に初めて電灯が点火し、1898(明治31)年に市内電車が笹島―栄間で開通し、1907(明治40)年に市内に初めてガスが供給されるなど、目覚ましい発展があったことが「名古屋市の歩み」から読み取れます。


【大正】

1921(大正10年)に隣接する16か町村を市域に編入しましたが、この時点ではまだ4区制のままとなっています。
明治22年の市制開始時の面積は13.34㎢だったのが、明治40年に熱田町を編入した時に31.98㎢に、大正10年に16か町村を編入し149.56㎢の大きさとなっています。市制開始時の10倍以上の大きさ、約30年の間に面積が大きく変わっています。

こちらの写真は1931(大正2)年に撮影された「東・西・中・南」の区役所庁舎です。

005大正時代の区役所庁舎


【昭和】

昭和に入ると区の動きも大きく変わってきます。
1937(昭和12)年3月に下之一色町(現在の中川区)、庄内町(現在の西区)、萩野村(現在の北区)を編入し、同年10月に「千種区、中村区、昭和区、熱田区、中川区、港区」の6区を増区し、10区制が実施されます。
1944(昭和19)年2月には「北区・栄区・瑞穂区」を増区し、13区制が実施されます。
「栄区」、初めて聞いた方も多いかもしれません。それもそのはず、僅か1年半ばかりの1945(昭和20)年11月に「栄区」は廃止され、中区に合併し、12区制となります。

1955(昭和30)年4月に猪高村(現在の千種区や名東区)・天白村(現在の天白区)を編入し、市域が広がっています。
1963(昭和38)年2月に守山市を編入し「守山区」を設置、同年4月に鳴海町(現在の緑区)を編入し「緑区」を設置し、1964(昭和39)年12月に有松町・大高町(現在の緑区)を市域に編入しています。

1975(昭和50)年2月千種区から名東区、昭和区から天白区が分区し、16区制が実施され、今の市域の形となります。

市政資料館、市域の変遷が分かる展示物があります。
ボタンを押すと赤いランプが点灯し、市域の拡大が分かるものです。

006拡張が分かる展示物

写真にある展示物の手前にあるボタンがこちらの写真

007展示物のボタン

ボタンを押すと時代に応じて赤いランプが点灯していきます。

008展示1

009展示2

010展示3

年代に応じて赤いランプが点灯するので、市域の拡大が分かりやすいです。

【そもそも市政資料館とは?】

1922(大正11)年に当時の名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所として建設されて以来、1979(昭和52)年に名古屋高等・地方裁判所が移転するまで、中部地方における司法の中心として60年近い歴史を積み重ねてきました。
名古屋の貴重な文化遺産として、いつまでも残してほしいとの市民の要望にこたえ、名古屋市は国(文化庁)や県の補助を受けて建物の保存・復元修理の工事を行い、1989(平成元)年には「名古屋市市政資料館」として整備・再生させました。
国の重要文化財(昭和59年指定)として保存・公開するとともに、名古屋市の公文書館として名古屋市の誕生から今日にいたるまでの行政文書や資料を保存し公開しているほか、この建物が市民の集いの場となるよう会議や集会、展示のためのスペースも備えています。

入館は無料で、区の成り立ちが分かるだけでなく、昔の裁判風景なども展示してあり、「昔は裁判官と検察官が同じ所に座っていたのか。」など、現在の裁判とは異なる風景を目にすることができます。

011昔の裁判の様子

昔の裁判の様子

昔の名古屋駅や広小路通りの写真などもあり、「私の名古屋駅はこっちだわー」なんて親子で見に行くとこのような会話で盛り上がるかもしれません。

012名古屋駅

名古屋駅の写真


【最後に】

近隣自治体を編入し市域が拡大したことにより、東区が東というより真ん中に配置されていたり、北区が出来た後に守山区が設置されたことにより守山区の方が北にあったりと、成り立ちを知ると区の名称にも興味を持っていただけるのかなと思います。

市政資料館、高校生によるファッションショーや演奏会、市の事業として企画展示があったり、また市政資料館がある公園は春になるとたくさんの種類の桜も楽しめます。
また地下には「えっ、こんな施設あるの?」といったものもあるので、皆さまにも一度ご覧いただきたいです。




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