文化のみち 旧豊田佐助邸を訪ねて~名古屋近代化の歴史を見る~
名古屋市広報課の小川です。
今回は、名古屋市広報テレビ番組おもてなし隊なごやの撮影で、「文化のみち」エリアにある旧豊田佐助邸に行ってまいりました。広報課に来て4年目で、文化のみちの施設はいくつかお邪魔しているのですが、旧豊田佐助邸は初めてなんです!!
和洋折衷のレトロな外観を見るだけで、ワクワクが止まらない…
豊田佐助さんってどんな人?何をした人?
発明王と呼ばれていた豊田佐吉さんの名前や、その子どもでトヨタ自動車創業者の豊田喜一郎さんの名前はよく聞いたことがあるかと思いますが、佐助さんって誰だろうと思っている方もいらっしゃるかと思います。
豊田佐助さんは、豊田佐吉さんの15才年下の弟。発明家である兄をさまざまな方面で支えたのが豊田佐助さんでした。のちに豊田紡織の社長も務めています。長女の夫である渡部新八さんはアイシン精機初代社長…、と華麗なる一族なのです。
旧豊田佐助邸とは
そんな豊田佐助さんが大正時代に築いたお屋敷が、この旧豊田佐助邸です。
今日はそんな旧豊田佐助邸の見どころをガイドボランティアの村田さんに伺いました。
村田さん:旧豊田佐助邸は、大正12年(1923年)に建てられた和洋折衷のお屋敷で、来年100年を迎えます。お屋敷の中は、豊田佐助さんにゆかりのあるものがたくさん。江戸時代の武家屋敷の敷地をそのまま使っているので、実に約600坪もあるんですよ。裏手には蔵が残っていますが、その横にはかつて母屋もあったんです。
村田さん:まずは、玄関入って左手にある応接室へどうぞ。この建物は当時のまま保存されており素晴らしい内装も残っています。
佐助さんの長女知江子さんの夫、渡部新八さんが購入したもの。かつての日本陶器(現ノリタケカンパニーリミテド)に務めたことがあり、東片端に下宿していた日本陶器の技術課職員であった田中義夫さんを支援して大きな絵を買い入れ、佐助邸応接室に飾った。
国宝をモチーフにしたユニークな絵
この絵はとても素敵だったんですが、わたしがひっそりと気になったのは、その下の地袋(収納部分)の絵です。拡大してみるとこんな感じ。
なんともユニークな表情をしているのですが、実はちゃんと出所があるのです。
モチーフにされたのは、和歌山県橋本市にある隅田八幡神社に伝わり、日本で初めて製作された金石文のある銅鏡「隅田八幡神社人物画像鏡」(現在東京国立博物館に寄託、国宝)の背面に描かれている人物を抜粋したもの。好文作とありますが、なぜこの4人が描かれたのかはわかっていないのだそうです。
TOYOTAの文字の入ったレコードプレイヤー
同じ部屋には年代物のレコードプレイヤーがありました。こんな感じだったのか、と感慨深く見ていたのですが、よく見てください。
村田さん:TOYOTAの文字が入っているんです。昭和30年代アイシン精機は家電、白物にTOYOTAのロゴをいれて販売を手掛けていたんですよ。これは佐助さんが亡くなり、この建物がアイシン精機の寮として使われていたころのものなんです。
真ん中の戸を開いてみると、“トヨタステレオ”の文字が入ったレコードが入っていました。どんな音楽が流れるのか、いつか聞いてみたいですね。
いたるところで発見!!とよだマーク
この部屋には、こんな特徴も。
村田さん:あの天井の換気口を見てください。あの鶴と亀のマークが、止与多(とよだ)の文字になっているんです。
みなさん、わかりますか?少し読み解きにくいところもあるので、展示されている説明書きもご紹介します。
館内を探していると、いたるところにこの「とよだ」のマークが!!
こちらは、第二次世界大戦中に豊田紡織(現在のトヨタ紡織)の綿布を使用して作られ、各方面に配られた風呂敷だそうです。
「とよだ」マークが入っていますね。
玄関わきの天井にもありました。
続いて、こちら。洋館2階のふすまでも発見!!よほどこのマークが気に入っていたのですね。
村田さん:洋館だけでなんと19つもマークがあるんですよ。
みなさん、全て見つけられますか??
嫁入り道具の五重箱
続いては、豊田佐助さんの娘さんの嫁入り道具、五重箱を見せていただきました。こちらは、普段展示されておらず、11/3(木・祝)から始まる文化のみちイベントにあわせて特別展示をされるものです。この重箱の台には豊田家の家紋が入っています。
村田さん:この和ダンスは豊田佐助さんが住んでいた当時から使われているもの。この前で炬燵(こたつ)に入っている豊田佐助さんが映っている写真などもあるんですよ。
100年経ってもゆがまない
「小川さん、こっちを見てほしいんです。」と言って見せてくれたのは、この館の耐震補強の構造。
この建物ができたのは1923年11月。その年の9月に関東大震災が発生し、多大なる被害が出たことから、このような堅牢な作りになったと言われています。通常十字に組むだけの柱が、十字の継ぎ目にプラスして太い四角の補強がされていたり、柱と柱ががっちりとかみ合うように作られていたり・・・
村田さん:これだけ丁寧に作られているので、ガラス戸やふすまなどの引き戸が開かなくなることがなく、今でもスムーズに開け閉めができるんですよ。
この壁を見てください。何かの陰に見えるでしょう。でも、横にある明かり取りの窓には模様がない。実は、これは壁の中の耐震補強の構造が、壁から透けて見えているのです。先ほどの部分だけではなく、どの壁も、このような造りになっているんですよ。
ガス灯
続いてみてほしいのは、こちら。ガス灯です。
このあたりでは、明治の初期にガスが整備されて、当時は電気より安定していたとのこと。廊下などの暗い場所はこのようなガス灯が完備されているんですよ。ほかにも部屋のいろいろなところにガス栓がついています。
波型無双連子(れんじ)
つぎは、2階へご案内します。階段わきにあるこれも特徴的。波型無双連子といって、開閉できて風通しや明るさを調節できるんです。100年経ってもスムーズに開閉。
浮かび上がる金のふすま絵
村田さん:あと2階でぜひ見てほしいポイントがここです。ここは客間として使われていた場所なんですが、この金色のふすまが本当にきれいなんです。
客人が一晩泊まった朝、雨戸の隙間から光が差し込んでふすまに当たると、まるで絵が浮かび上がったように輝いて見えるといって、大変人気だったそうです。
うーん、ぜひ見てみたいものです!!でも、このままでも十分に美しいので、しっかり写真に収めました。
ふすまにはこちらの文字が…
村田さん:大正甲子(きのえ)の年に好文さんが作ったという意味なんですよ。大正13年(1924)。甲子園ができたのもこの年なんですけど、甲子園という名前もこの年から始まったから甲子園になったんですよ。
小川:なんと!!甲子園は年の呼び方からきているなんて!!!村田さん、なんて物知りなんでしょう。
村田さん:次は客間にある床の間。珍しい造りになっていて、この床の間の左手の高くなっている台の部分は琵琶台というんです。
小川:え?この上で琵琶奏者が演奏などするのでしょうか?!舞台になっているのか?!と思ってよく聞くと、琵琶や茶道具、五月飾りなど、床の間とは別に飾りを置く飾り台のような存在だそうです。当時はどんなものが飾られていたのか、想像が膨らみますね。
この木の戸もきれいですね。
村田さん:これは、夏障子(葦戸)で風通しがよく涼しいんです。
この夏障子に入っている模様はこの模様は縁起の良い横木瓜(よこもっこう)です。豊田家の家紋に繋がる柄です。
贅沢な造りの調度品の数々
松の一枚板で作られた廊下(洋館2階)。黒ずんでいた表面を削ったところ、カンナがすぐダメになってしまうほど硬い表面 なのだそう。
木の中心部を除いた芯去材のみを用いて作られた柱(和館1階)。木の中心部である芯持材より、外側を使用した芯去材の方が頑強なのだそうです。
欅(けやき)の一枚板で作られた床の間横の収納(和館2階客間)。いったいどれだけ太い木だったのか…
このほか、レトロなものの数々
当時の贅を尽くして建てられた旧豊田佐助邸。ただ見学するだけでなく、当時の時代背景を考えながら、細部まで見てみると本当に見どころ満載の館です。 村田さん、本日はガイドしてくださり、本当にありがとうございました。
旧豊田佐助邸でガイドボランティアさんがいるのは火曜・木曜・土曜日です。興味のある方は、ぜひガイドを聞きながらお楽しみください!!!
おまけ 浮かび上がる金のふすま絵パート2
実は、この日は休館日だったので、帰り際スタッフのみなさんで戸締りが始まり、なんと2階客間外の雨戸が閉じられたのです!!さて、どんな絵が浮かび上がってくるのでしょう…
~番外編 名古屋陶磁器会館~
おもてなし隊なごやでは、同じく「文化のみち」エリアの施設、名古屋陶磁器会館にもお邪魔しました。
一番気になったのはこちらのミニチュアサイズのティーカップセット!
普通の大きさのティーカップと比較するとこの通り。
小さなものなので実際にお茶会をするのは難しそうですが、とてもかわいらしいティーカップセットで、見ているだけでいろいろな想像が湧いてきそうな逸品でした。島本さんいわく、とても人気があるとのこと。このティーカップセット、必見です!ぜひ現地でご覧ください。