博物館のこと、学芸員のこと、学芸課長に聞いてみました!
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博物館のこと、学芸員のこと、学芸課長に聞いてみました!

名古屋市広報課の丸澤です。
学生の頃は社会、特に歴史が得意で、博物館には興味があり、コロナ禍の前は旅行に行くとその地域の博物館に行くことも多々ありました。
広報課に来たことで市役所職員でも普段接する機会があまりない「学芸員」と、名古屋市を始めとした歴史や特別展への思いなどを聞ける機会を得られました。

皆さん、名古屋市博物館がいつ出来たかなどご存知でしょうか?
名古屋市博物館は、人口200万人突破の記念事業として計画され、1977年(昭和52年)10月に開館した歴史系の総合博物館です。
地下鉄桜通線の「桜山」駅で下車し、4番出口から南へ150mほど歩くと入り口が見えてきます。


博物館入り口付近1(2枚目)

博物館入り口付近2(3枚目)

広報課が所管している施設・行催事等紹介番組(令和3年度時点では「おもてなし隊なごや」)で博物館学芸員の方と話す機会があり、展示に対する想いや知識の豊富さにはいつも圧倒されます。

今回は、名古屋市博物館の学芸員から学芸課長になられた瀬川貴文さんにインタビューしてきました。

【学芸員について】

(-は丸澤が発言)
―なぜ学芸員になったのですか?
瀬川:歴史が好きで、大学では考古学を専攻して、学芸員になろうと思いました。
特に古墳時代の研究をしています。学芸員は全国的にみても募集自体あまりなかったので、出身は和歌山ですが、古墳がある土地で募集をしていた自治体の試験をいくつか受けて、名古屋市で採用されました。
―私も歴史が好きで学芸員を志したこともあるんですが、古文とかが苦手で、、、
瀬川:いや、私も苦手ですよ(笑)。
ただ名古屋市博物館には正規の学芸員が14名おり、私は考古でも古墳の専門なので、例えば石器には詳しくないのですが、それを専門にしている学芸員や、古文書をすらすら読める学芸員といったように、皆それぞれ異なる得意分野があります。分からない所は聞いたりできるので、1人で何もかもやらないといけない小規模な施設と比べると非常に恵まれているかなと思います。
―普段、学芸員の方はどんな仕事をされているんですか・
瀬川:博物館の学芸員の仕事には、大きく収集、保管、展示、普及とありますが、お客様に一番目立つのは展示ですね。
常設展や特別展を組み立て、解説するためのキャプションを作ったり、開催中のものであればお客様からの質問に答えたりといったことをしています。
実際に展覧会を開催するためには、膨大な調査と知識が必要になってきます。
常設展で展示しているものも、市民の方から寄贈していただいたものがたくさんあります。市民の方から「こういったものが出てきたけど、いらない?」といった情報をいただいたら、調べにいきます。それがどのようなものなのか、およそいつの時代のものなのか、博物館で収集すべきものなのかどうか、そんな観点から調査し、判断しています。
―管理職になり、一(いち)学芸員の立場からの変化は?
瀬川:就職して20年近くになります。2年だけ別の部署にいましたが基本は市博物館にいますので、一緒にやってきている人が多いです。その中であまり管理職というのを意識してもダメかなと思っていて、先頭に立つ面もあれば任せる面もあったり、バランスを取りながら進めています。
課長になって4年目ですが、1年目2年目はプレイングマネージャーとしてやりますと周りにも宣言して、3年目からはプレイングの部分を弱めながらマネジメントの部分を強めている所です。

【収集・保存・展示について】

―収蔵品はたくさんありそうですが、どれくらい収蔵していますか?
瀬川:約27万点で、うち9割以上は市民の方からの寄贈です。
―そもそもどういったものを収集したりするんですか?
瀬川:博物館というと「高価なもの」しか扱わないと思われる方が多いですが、そればかりではなくて、一昔前の生活の道具なども収集しています。
名古屋市博物館には資料収集方針というものがありまして、日本の文化を代表するようなものと、名古屋・尾張に関わるようなものを両輪として集めています。名古屋に関わるものは市民の方々のご協力で積み上げてきたものが多いです。
我々の専門は、考古、文書典籍(歴史資料)、美術工芸(古美術)と民俗という大まかな4分野にわかれています。この分野に該当するようなものは、市民の方からお声かけいただければ、必要に応じ出向いて見させていただいています。
―資料の保存で気を付けている点は?
瀬川:盗難、火事、漏電、虫、かび、光、空気など全てにおいて気を付けています。
日本のもの、よく使われている紙とか木とかは温湿度の変化に弱いので、温度や湿度を一定に保つようにしています。湿度の急速な変化で木は収縮してしまう。例えば屏風の骨組みは木なので、骨組みが歪んでしまい、ちゃんと開かなくなる。極端な場合は裂けてしまうこともあります。漆塗りの工芸品の場合は、漆が浮いてしまったり、ピキッと割れてしまったりすることもあります。温湿度の変化からカビの発生につながったり、虫食いができてしまったりするので、様々な点で気を付けています。
―展示はどのように進めていますか?
瀬川:特別展に関しては、博物館らしいものからお客様に楽しんで貰えそうなものまで、バランスを取って計画しています。
今年度で言えば、博物館らしい歴史ものは12月4日から開催予定の「大雅と蕪村―文人画の大成者―」、お客様に楽しんで貰えそうなものは6月1日から開催予定の「ゲーセンミュージアム~この夏、博物館はゲームセンターになります。~」(以下「ゲーセンミュージアム」)などがそうです。
「ゲーセンミュージアム」は博物館としてはかなり挑戦的なもので、担当学芸員である係長が頑張って調整をしています。
―私(丸澤)が小さい時は親とモーニングを食べに喫茶店に行くと、こういったゲームが机代わりになっていたのを覚えています!
瀬川:「ゲーセンミュージアム」は、ある程度の年齢を重ねた人たちからは、思い出話がたくさん出てくると思います。
丸澤さんもぜひ平日に休みを取って来てくださいね(笑)。

学芸課長との対談風景(4枚目) (2)

※写真は左に瀬川課長、右が丸澤

【新型コロナウイルス感染症の影響について】

―名古屋市でも昨年の2月頃から新型コロナウイルス感染症の影響が出始めましたが、博物館の影響や苦労した点などは?
瀬川:まずはお客様の安全第一を考えて、中止するか、しないかの判断に大変苦労しました。閉めるならどこまで閉めるのか、まずは1~2週間という感じだったので、その時にやっていた展覧会をどうするのか、共催者と連絡をやり取りしてどうするか、経費もかかる話なのでどこまでやったらいくらかかって、万が一開くことができた場合などの計算など、様々なことを考えました。
開館後に予定していた展覧会も中止となりました。今年度の「ゲーセンミュージアム」も本当は昨年の夏に開催する予定だったのが、昨年度の段階で無理だろうと判断して今年に持っていったりなど、組み換えが大変でした。
―再開するときに気を付けた点は?
瀬川:お客様やスタッフの安全をどう確保するか。
基本的には博物館協会が出しているガイドラインや市の方針に従い行ってきました。
開館後、中止になった特別展の代わりに、休館中にインターネット上で情報発信していた資料を実物で見てもらおうと、「おまたせ!再会博物館」という特別企画を急きょ企画し開催しました。
久々に博物館に来られたお客様からは「やっぱり本物はいいなー」というようなお声はいただきました。博物館というリアルな空間を楽しんでいただけたんだろうなと思います。

【博物館の意義や特別展への企画について】

―博物館の意義や名古屋市にとって博物館があることについて
瀬川:自分のアイデンティティを知る。
名古屋の多様な文化やその膨大な蓄積に触れ、興味を持っていただいて、自分のこれからの糧にしていただければありがたいです。
真面目に学ぶだけではなく、面白くも学んでいただければ。そして、学んだことを今後につなげていただける博物館になれるといいなと思っています。
―特別展の企画はどれくらい前から?
瀬川:3~4年前には動き出しています。
企画としては4年前から動き出していて、調査に行く前の段階で、本とかで調べられるものは調べてというのが3年前という感じです。
ドリームリストと呼ばれる「こういうことをしたい」というものを落とし込んでいき、出品資料借用の交渉なども始めていきます。依頼をしても他の博物館の先約済みの場合もありますし、経費的に諦めざるを得ないという場合もあります。資料の選定以外にも、キャプションや図録の原稿の執筆、会場に資料をどのように並べ、どのようにライトを当てるかなど、やるべきことは細かいところまでたくさんあります。全国巡回展はともかく、当館で企画した展覧会の準備途中で担当学芸員が人事異動となってしまうと、もうどうにもならない。開催自体を諦めざるを得ないという事態に陥りかねません。

【名古屋市博物館ならでは!】

本など(5枚目)

―名古屋市博物館が音頭を取って秀吉の文書(もんじょ:手紙、書簡)を集めているとお伺いしましたが
瀬川:豊臣秀吉に関しては文書がものすごく多くて、研究を手掛けていらっしゃる専門家もみえますが、完成形に至ったものがありませんでした。秀吉というとどうしても大阪というイメージが強く、大阪の方も親しみを持たれていますが、秀吉の生まれはもともと名古屋の中村区。名古屋市博物館の分館に「名古屋市秀吉清正記念館」もありこれは名古屋がやるべきだと当時(平成24年度)の学芸課長が言って、始まりました。
実はこれらの文書には、秀吉が書いた具体的な年が明記されていません。本文の内容から、どの年代に書かれたかを研究して、それを年代ごとに順番に並べています。写真をそのまま載せるのではなく、活字にしているところが特色です。
これは我々名古屋市博物館の学芸員だけでは無理なので、大学の教員の方などに編纂(へんさん)委員として参加していただき、名古屋市博物館は事務局という体制で進めています。
名古屋市がこういったことを手掛けているということは、研究者の皆さんは知っていますし、古美術商といった事業者の方も「名古屋市博物館、秀吉に力入れているな。」と知っていただいて、「秀吉のこんな文書あるんだけど?」と我々にお話をもってきてくれたりします。当館の取り組みが徐々に広まり、「名古屋市博物館、秀吉のことをやっているよね。」「秀吉と言えば名古屋市だよね。」と浸透していくといいなと思います。
―名古屋市博物館発行の「台風記」という本がありますが、これは伊勢湾台風の?
瀬川:そうです。一番被害の大きかった南区の白水小学校の児童の作文を集めたものです。
白水小学校に直筆の作文が残っていたのを、私(瀬川)が資料担当の主査の時に校長先生から「大事なものだけど、保管をどうしようか。できれば博物館に。」とお声かけいただき、博物館で保管するようになりました。
本当に大事な資料だと思いましたので、公開の許可をいただけたものを文字起こしして、本にしました。学校に出された作文なので、子どもたちも心情そのまま、悲惨な体験そのままを書いたという訳ではないと思いますが、当時の状況がよく伝わってきます。
伊勢湾台風から60年にあたる2019年に発行しました。ここに掲載していない作文もまだたくさんありますので、許可をいただけるよう引き続き関係者の方にあたっています。
―同じく博物館発行の「猿猴庵の本」というのは?
瀬川:江戸時代の尾張藩士 高力猿猴庵が、名古屋城下で起こった様々なできごとを絵や文字で詳細に記録した資料を図版化したものです。
お祭りの絵、庄内川が氾濫した時の絵や、季節ものであれば桜の名所が描かれています。花見は現代と一緒で見物客がたくさんいたり、食べるところがあったり、酔っ払いと思われる人がいたり、見ていてとても面白いです。江戸時代の名古屋が描かれている一級資料です。この「猿猴庵の本」は、20年前に1冊目が出て、今は27冊目まで出ています。

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2安永大洪水 (3)

【終わりに】

名古屋市博物館、建物の中にたくさんの資料があるというだけではなく、そこで働く学芸員の方がそれぞれの専門分野で力を発揮することで、数年かけて作り上げる展覧会、秀吉の文書から江戸時代、伊勢湾台風などの刊行本など、名古屋を真面目に面白く学べる施設であると改めて思いました。
学芸員の方と接する機会は、市役所職員でも(なかなか)少ないんですが、本日のインタビューで展覧会が数年先を見越して企画されていることを知り、過去と向き合うだけでなく、未来とも向き合っている感じがしました。

今回は瀬川課長にインタビューしましたが、知識豊富で面白い学芸員がたくさんいます。学芸員が講師を務める「はくぶつかん講座」や展覧会の展示説明会などの機会で、皆さんにも学芸員と接していただいて、名古屋の魅力をもっと知っていただきたいなと思います。
まだまだ記事を発掘できそうなので、次回は何のテーマにするかを今から楽しみにしています。


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