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ウクライナから来た避難民 ターニャさんの場合

観光文化交流局国際交流課の石川です。2022年2月、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まり、多くの人々が日常生活を奪われ避難を余儀なくされました。
名古屋市では、ウクライナから避難されてきた方々に対し、皆様の募金や寄附金を主な財源に様々な支援を行ってきました。

避難民の一人として来日し、現在は国際交流課で私たちと一緒にウクライナ避難民支援の業務に携わっているサムソノバ・テチアナさん(通称:ターニャ)に今の思いを伺います。

注:インタビューは英語で実施しました。

(―は石川が発言)

国際交流課で働くターニャさん

―簡単に自己紹介をお願いします。

 サムソノバ・テチアナ(通称:ターニャ)です。ウクライナのオデーサから来ました。4月から名古屋に住んでいて、9月から名古屋市国際交流課で働いています。 

 
―ターニャさんは、ウクライナではどのような暮らしをしていましたか?

ウクライナには素晴らしい友人がたくさんいます。新型コロナウイルス感染症のパンデミックが始まる前、私はレストランでマネージャーとして働いていました。とてもいい友達ができ、仕事も本当に楽しかったです。

その頃は、友達と一緒に休日を祝ったり、いろいろなイベントに参加したりしていました。ロックダウン期間中は時間があったので、私は以前から興味のあったひらがなとカタカナの勉強を始めました。

オデーサの海岸

 

―戦争が始まった時のことを聞いてもいいですか?どのような経緯で日本へ避難することになったのでしょうか?

 もともと日本人の友人がいたのですが、ウクライナでの戦争が始まる1週間前に、その友人が、「来週は危険な事態が予想されているから気を付けてね」と電話をくれました。当時は、ただ冗談を言っているのかと思っていましたが、その後に起きたことは想像を絶することでした。 

激しい爆発音で起こされた2月24日
2月24日午前4時30分、家の近くで激しい爆発があり、その爆発音に起こされました。離れて暮らす母から電話があり、母は戦争が始まったと教えてくれました。信じられませんでした。何が起こっているのかを完全に理解するのは困難で、とても恐ろしかったです。

日々激しくなる砲撃
街の状況は日々危険になっていきました。ロシアの軍艦がオデーサ沿岸を航行し、ロケット弾が毎日のように飛んでいました。周辺地域から恐ろしいニュースが放送され、モルドバ国境にロシア軍が駐留していることを知りました。オデーサは包囲されるおそれがありました。 

戦禍に取り残されるより、選んだ日本への避難
戦争が始まってから数週間、日本人の友人とその家族が、私を日本に避難させようと手助けしてくれました。日本へ避難ができるように、多くの自治体や大使館に連絡し、情報を集めてくれました。
私は家を出るのが怖かったですが、それよりも戦争の真っ只中にいるほうがさらに怖いと思い、最終的に、避難することにしました。
ポーランドを経由して日本へ来ましたが、多くの人々に助けてもらいました。お世話になった皆様に大変感謝しています。 

オデーサの街並み(夜)

―日本に来てからよく思い出すウクライナでの思い出はありますか?

幸せだったオデーサでの暮らし
双子の親友がいます。彼らはウクライナ南東部の街ザポリージャ出身ですが、オデーサに長年住んでいました。お互いの家族も友達で、一緒にホリデーを過ごし、映画やお祭りにも行きました。 

何年か経ってから、彼らが故郷に帰ることになり、とても悲しかったです。しかし、1年後の彼らの誕生日に、サプライズとして、11時間かけて直接お祝いしに行きました。彼らは再会に大喜びしてくれました。翌年の私の誕生日にはその友達がオデーサに会いに来てくれて、誕生日とクリスマスを一緒に過ごしました。これは私の最も幸せだったときの思い出で、最高のクリスマス・ホリデーでした。

オデーサでのクリスマスの様子

―名古屋での生活はいかがですか?

名古屋で送る静かで安全な生活
名古屋では静かで安全な生活を送れています。多くの善良な人々に会いました。地域の人たちはとても親切で、いつも助けてくれます。名古屋市は、私も含め、避難民に快適な環境を提供してくれました。名古屋ではウクライナ人や日本人の新しい友達もできましたし、この社会の一員になれて幸せです。 

名古屋で過ごすターニャさん


―名古屋に来てから出会った人はいますか?

名古屋での新しい出会い
昨年の夏に、私は毎週日曜日に開かれる日本語教室に参加しました。そこには、世界各国からの留学生がたくさんいて、キーウから名古屋市に避難してきたウクライナ人の女の子とも知り合いました。

私たちは良い友達になり、週末によく遊んでいます。ランチを食べに行ったり、祝日を祝ったりすることもあります。そのような人に出会えてとてもうれしいです。 

―市役所での仕事の内容と現在の課題について教えてください。

私の主な仕事は、市役所と国際センターでウクライナ避難民とのコミュニケーションをとることや、日本と名古屋市での生活に関する公式情報を提供することです。また、文書の翻訳をしたり、様々な困りごとについて相談に乗ったり、アドバイスをしたりもします。他にも、ウクライナ文化を紹介するイベントの準備や開催にも携わっています。

交流イベントでは、ウクライナ絵画の伝統技法ペトリキウカを紹介

ウクライナ避難民が新しい暮らしに適応できるよう手助け
現在の避難民を取り巻く主な課題のひとつは、ウクライナから新たに名古屋市にやってくる人がどのように日本の生活に慣れ、日本語を学ぶことができるかということです。ウクライナ人が新しい暮らしに適応するときの問題や困りごとを解決するために努力していきたいと思います。将来的には、避難民だけでなく、サポートが必要なすべての人の手助けをしたいと思っています。 

オアシス21で開催された「ワールドコラボフェスタ」でのブース出展

―支援活動をする側になって感じることはありますか?

サポートしながら働けるという機会にとても感謝
市役所に就職したとき、同僚や友達が私をサポートしてくれました。どんな課題にもアドバイスや手助けをいつもしてくれます。私は、ウクライナ人をサポートしながら働けるという機会にとても感謝していて、仕事にやりがいを感じています。

初めて日本に来てサポートを必要としている人たちの手助けをすることができるということは、私にとって非常に大切なことだと思っています。

学生向けに故郷オデーサを紹介

 

―最後に、読者の方々へのメッセージをお願いします。

いつも温かい支援やご協力をありがとうございます。ウクライナからの避難民を支援するプロジェクトに皆さんの力を貸してください!名古屋の皆様の支援はとても重要ですので、ご協力をお願いします!一緒に世界をより良い場所にしましょう!

有松絞体験に参加したウクライナ避難民の皆さん


【ウクライナ避難民を支援されたい方へ】
名古屋市に避難されているウクライナ避難民を支援する方法として、税控除の受けられる「ウクライナ避難民支援事業寄附金」や、避難民のニーズと支援者(物資提供・ボランティア)をつなぐ支援マッチングなどがあります。

詳細は、市公式ウェブサイトをぜひご覧ください。