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#なごやを歩こう/文化のみち編~広報なごや2月号~

名古屋市広報課の齋藤です。

皆様、名古屋市が誇る「文化のみち」はご存知でしょうか?名古屋城から徳川園にかけての一帯は、江戸時代から明治、大正へと続くなごやの近代化の歩みを伝える貴重な歴史遺産が多く残されており、「文化のみち」と呼ばれています。
今回はその中でも、文化のみちの拠点施設である「文化のみち二葉館(ふたばかん)」と、「文化のみち橦木館(しゅもくかん)」の魅力について紹介します!

文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)


日本の女優第一号として名をはせた川上貞奴(かわかみさだやっこ)と電力王・福沢桃介が共に暮らした邸宅で、大正9年(1920年)に建てられたものです。平成17年に登録有形文化財にも指定されました。

創建当時は、文化のみちエリアの北端・東区東二葉町(現在の白壁二丁目・三丁目)にあり、2,000坪を超える敷地に建てられた和洋折衷の建物は、その斬新さと豪華さから「二葉御殿」と呼ばれていました。

創建当時の様子がわかる風景画。中央上部に貞奴邸が描かれている。


政財界人や文化人のサロンになっていた

平成17年に橦木町に移築・復元され、現在は文化のみちの拠点施設となっています。

輝きを放つステンドグラスの数々

館内の大広間に入ると、ひと際大きなステンドグラスがまず目に留まります。
ステンドグラスが日本に伝来したのは19世紀といわれ、当時輸入されたばかりのステンドグラスをいち早く取り入れていました。

「初夏」というタイトルで、左上と右上のステンドグラス(赤枠の部分)以外は創建当時からあったオリジナルです。実は右側のステンドグラス(黄枠の部分)も以前はレプリカでしたが、平成26年に市内で発見され、約80年の時を経て再び二葉館に戻ってきたそうです。
二葉館のパンフレットには、以前のステンドグラスの写真が掲載されているため、見比べてみると面白いです。

二葉館のパンフレットより


オリジナル(黄枠の部分)
レプリカ(黄枠の部分)

他にも、館内には沢山のステンドグラスが飾られていますが、ステンドグラスは太陽の光を美しく取り入れるとともに、家からの光を美しく外に映し出す意味があったと言われています。

大広間に飾られた「踊り子」
展示室1に飾られた「アルプス」
展示室7に飾られた「もみじ」

当時、家にガス燈が1~2個あれば凄いと言われた時代に、最先端の電気設備を兼ね備えていた二葉館。電気のショールームとして、招いた財界人や技術者などに電気の魅力を印象付けたことは間違いありません。

創建当時からある照明器具

座り心地抜群!当時のスプリングを使用したソファ

また、文化のみち二葉館を訪れた際にぜひ体験してほしいものが、こちら!

大広間に置かれた円形のソファと一人掛けのソファは、当時の木組みやスプリングを再利用しているため、大正時代に使われていたソファの座り心地を体感することができるんです!
深く腰をかけるとゆったりと沈み込むような座り心地ですが、浅く腰をかけると硬くしっかりとした座り心地で、思わず背筋も伸びてしまいます。
実はソファの先端には木の板が入っており、着物が着崩れしないように設計されたものだそうです。当時の職人の気遣いが感じられ、私は何度も立ち上がっては座り心地を確かめてしまいました。

大正時代にこんなものが? 電気式のスイッチベル

他にも、館内には創建当時の設備を体感できるものがあります。

廊下に設置されたスイッチを押すと…。
パカッ!部屋番号を表す番号が表示されます

こちらは使用人を呼ぶために作られた電気式のベルで、呼び鈴の役割を果たしていたそうです。現在は一か所しか使用できませんが、当時は各部屋にスイッチがあり、押すとベルと共に部屋を表す番号が表示されました。
現代社会に生きる私たちにはファミリーレストランなどで見慣れた装置ですが、これを大正時代に使用していたと思うと…。
二葉御殿と呼ばれた、二葉館の凄さを実感することができました。

大理石でできた配電盤

電力王と呼ばれた福沢桃介と共に暮らしていた邸宅ということもあり、なんと大理石で造られた配電盤も見ることができます。

創建当初からある配電盤
配電盤の裏側。配線の数もすごい!

地下室には自家発電装置を完備し、夜になるとサーチライトが庭を明るく照らしていたそうです。もはや驚きしかありません。

電力王・桃介を支えた“日本の女優第一号”貞奴(1871~1946年)

館内には、川上貞奴と福沢桃介に関する貴重な資料も多く展示されており、様々な展示物を通して二人の生涯を辿ることができます。

川上貞奴

貞奴は幼い頃に芸者置屋の養女となり、明治20年(1887年)に売れっ子芸者になって「奴」とよばれるようになりました。その頃、慶應義塾の学生だった桃介と出会い恋をしますが、桃介が福沢諭吉の娘と結婚し婿養子となったため、貞奴は桃介との恋をあきらめ、「オッペケペー節」で有名な川上音二郎と結婚します。

川上一座公演の絵葉書

その後、貞奴は川上一座の女優として、アメリカ・ヨーロッパでの公演で高い評価を受けます。特に1900年パリ万博での公演はピカソなど多くの著名人を魅了し、フランス政府から勲章を授かるなど、「マダム貞奴」として一躍有名になりました。

パブロ・ピカソが描いた、パリ万博で公演する川上貞奴のポスター。

明治44年(1911年)に夫の川上音二郎が亡くなり、7回忌を経て女優を引退。
その頃、桃介は新規事業の電気に注目し,名古屋電燈株式会社の株を買い占めると、電力会社を合併し、大同電力株式会社を設立。社長として名古屋を拠点に木曽川水系の電力開発に乗り出します。

大井ダムで撮られた桃介の写真

貞奴は名古屋に移り住み、自ら輸出向け最上級の絹を生産販売する「川上絹布株式会社」を設立するとともに、旧知の仲である福沢桃介の事業パートナーとして共に生活をしました。

左:川上貞奴 中央:桃介の孫 右:福沢桃介

貞奴は二葉館で政財界の接客を行うなど、桃介を公私ともに支え、桃介が”電力王”と呼ばれるほど事業を成功に導きました。

川上貞奴が愛用していた品々。福沢桃介の直筆の書も飾られている。

館内には、この他にも貴重な資料が多く展示されていますので、ぜひ一度二葉館を訪れて、二人の生涯や当時の暮らしに思いを巡らせてみてください。

名古屋を中心とした文学者を紹介する拠点でもある二葉館

また、二葉館では直木賞作家の城山三郎をはじめとして、名古屋を中心とする郷土ゆかりの文学者・文学作品を資料やパネルで紹介しています。

復元された城山三郎の書斎

他にもお伝えしたい魅力がまだまだありますが、次は文化のみち橦木館をご紹介します。
 ※利用案内など、二葉館の詳しい概要については二葉館ホームぺージをご覧ください。

文化のみち橦木館

陶磁器商として活躍した井元為三郎が、大正末期から昭和初期にかけて建てた邸宅です。敷地内には、和館、洋館、東西二棟の蔵、茶室、庭園が残されており、当時の様子を伝える遺物もたくさん展示されています。
平成8年に名古屋市有形文化財、平成20年3月に景観重要建造物にも指定されました。

古き良き時代の日本家屋が感じられる和館

1階には懐かしい雰囲気が味わえる、和室が広がっています。

和館1階の渡り廊下
各和室では、井元為三郎とその家族が寝起きしていた

驚いたことに、こちらの和室も含め、茶室や庭園なども展示やイベントなどに利用できる貸室として提供しているそうです。

タイルが張られたガス式かまど

個人的に、とても気に入ったのがこちらのガス式かまど。
約100年前にこのかまどで米を炊いていたと思うと、とても感慨深い…。

かまどの土台に使用されているタイルもとてもオシャレです。

実は橦木館には、館内のいたるところで様々な種類のタイルが使用されています。

和館1階の台所も!
洋館2階サンルームの床にも!
洋館2階サンルームの壁にも!

他にもたくさんのタイルがありますので、訪れた際には、ぜひタイルを見比べて楽しんでください。

アメリカ軍将校が使用していた冷蔵庫

橦木館の洋館部分には、戦後しばらくアメリカ軍将校が住んでいたそうで、台所には当時使用されていたアメリカ製の大きな冷蔵庫も残されています

アメリカ G.E.製の大型冷蔵庫

贅を尽くしたステンドグラスが映える洋館

二葉館もステンドグラスが魅力的でしたが、橦木館のステンドグラスも負けず劣らず魅力的です!
館内の扉や天窓などいたる場所にステンドグラスがあしらわれており、図柄を見比べるだけでも面白いです。

洋館玄関ホールのステンドグラス
喫茶室内のステンドグラス

中でも特に目を引くのが、洋館2階展示室に展示されたステンドグラス。この日は天気も良く、太陽光が差し込んだ時の美しさには思わず息をのみます。

館内に置かれた案内誌「橦木館日和」によると、このステンドグラスにはハート柄がないそうです。

確かに、ダイヤ・スペード・クラブはありますが、ハートが見当たりません。実は、この邸宅を建てた井元為三郎の処世訓は「幸福は我が心にあり」で、「幸福=ハートはそれぞれの心の中にあるものなので柄には必要ない」としたそう。
改めてステンドグラスを見ると、どこか温かみも感じられて、しばらくずっと眺めていました。

ロサンゼルスでダチョウに乗る井元為三郎(48歳)

陶磁器商として活躍した井元為三郎

明治6(1873)年に生まれた井元為三郎は、16歳で有田系の商店に入り、明治30(1897)年、24歳で独立。橦木町に隣接する飯田町に井元商店(現井元産業株式会社)をかまえます。明治40年代にはサンフランシスコに貿易会社を設立。

2列目中央が井元為三郎(明治40年頃に撮影)

大正に入ると、シンガポールやビルマにも進出して、陶磁器以外に医薬品や雑貨も扱うようになりました。大正13年(1924)、名古屋陶磁器貿易商工同業組合の組合長に就任。加工問屋「五人衆」の一人に数えられるなど、陶磁器業界の重鎮として活躍しました。

館内には陶磁器ができるまでの製造工程を伝える展示コーナーもあります。

転写・彩色(絵付け)・金彩など各工程の品物を見ることができます。

昭和初期には、東区界隈に600を超える上絵付け工場があり、最盛期には、日本で作られた輸出用の陶磁器の7〜8割が、この地域で生産(絵付け加工)されていたそうです。

喫茶室の紹介

ちょうどお昼時だったため、洋館1階(旧応接室)の喫茶室で昼食をいただきました。
(※カフェのみ利用する場合は、入館料は不要です)

暖かい時期には、テラス席で庭園を眺めながら食べるのがおすすめ

注文したのは、ドリンクもついたパンケーキセット。紅茶のクリームソーダが一番人気とのことですが、甘党の私はミルクティーフロートをいただきました。ドーナツ型の可愛いパンケーキにかける自家製のティーソースが、とても美味しかったです!

パンケーキセット(1,000~1,200円)

緑豊かな園庭が広がる

最後に園庭を散歩させていただきました。

園庭はとても緑豊かで、不思議と空気も美味しく感じます。

庭の一角には茶室もあります

※利用案内など、橦木館の詳しい概要については橦木館ホームぺージをご覧ください。

最後に

いかがでしたでしょうか?
今回は「文化のみち二葉館」と「文化のみち橦木館」について紹介させていただきましたが、文化のみちには歴史のある神社・お寺・教会など、まだまだ魅力的なスポットが沢山あります!
文化のみちの魅力を存分に感じられるおすすめ散策ルートも用意されていますので、興味を持たれた方はぜひ歩いてみてください♪

文化のみち おすすめ散策ルートはこちらから

これまでにNoteで紹介した文化のみちスポット

・名古屋城:今知りたい!名古屋と徳川家康の関係!
・名古屋市役所:名古屋市役所本庁舎、昭和8年竣工で88年、令和3年に3代目庁舎を紹介(市役所本庁舎物語)
・市政資料館:市政資料館の100年の歴史に迫る!~名古屋控訴院100年祭企画展「たてもの百年ものがたり」~
・旧豊田佐助邸:文化のみち 旧豊田佐助邸を訪ねて~名古屋近代化の歴史を見る~ 
・徳川園:職員のこだわりが光る徳川園